ヒトと獣人。二つの国家が、再び相見える。凍土と深き雪に覆われる国。灼熱と荒ぶ砂塵に護られる国。肥沃な地をただ求め、世界を席巻せんと邁進するドラバニア。仇なす者に対抗せんと、防波として手を取り合うルドラム。貴き意志を抱き、高く猛き剣を掲げ。十四度目の戦乱。その始まりは我らの血で記そう。いざ―――
■禁止事項:・他者の行動・行為を著しく制限、または指定する描写。・単騎で戦局に多大な影響を与える描写。・俗に言う無敵と思われる行為、行動や描写。・世界観が大幅に無視されている描写。・その他、不躾であったり、不快に思わせる行動や描写。上記の行為は禁止とさせて頂きます。相手が居るという事、重々御承知下さいますよう。
■大陸地図:http://www.geocities.jp/kichi_k/LG_map/top.html(大判/作成:クロゼット様)http://lgtisiki.blog89.fc2.com/blog-category-8.html(携帯用/作成:コルナ・コルチェット様)御二方に感謝を。
「しゃーーー!いくぞオラー!」ルドラム軍の隊列の中、やたらとテンションの高い女がいた。女の名は藍染勇子。異界から召喚されし人狼だ。前大戦の末期に喚ばれた勇子は各地を転々としルドラムに流れついた。人狼であるが故か、この国はとても手厚く迎え入れてくれた。やがて始まる自身二度目の戦争。戦線布告と同時に下された出撃命令。恩に報いるために従うことにした勇子は、いまは戦地に赴く隊列の中に居る。「一宿一飯の恩よ。ちゃんと働かないとバチがあたるってね。」口笛なんかを吹きながら軽快に足を進める。その先に待っているものなど何も怖くないとでも言うかのように。
「…グレングス様って、人間嫌いだったっけ?」『少なくとも、バードマンの大将よりゃマシだった気がするが』3期ぶりに、いつもの城壁で双眼鏡を覗いてみた。何も変わってない砂嵐、日差し、そして熱気。「はー」ふとついたため息を聞いてるのは、毎度お馴染みのゴーストだけ。…かと、思っていた。『出撃準備、整いましたーっ』『だとさ、お呼びだぜ隊長殿』振り返ってみれば、赤いローブを着込んだ黒猫族が手を振っている。かつては同じ戦場に立っていた、若すぎる副隊長だ。「…ん、じゃあ行こうか」両手にそれぞれ銃を握り、いつもの城壁を降りた。
兵士達が慌しく動き回る中、南の空をじっと見つめる騎士。見つめる先には戦場になるであろうトルスタン。思い返すは散っていった友の記憶。また私はこの戦で友を失うだろう。また私はこの戦で誰かの友を奪うだろう。それとも私が・・・。「いや・・・ただ、駆け抜けるのみだ」やがて響く大きな号令。各部隊も大きく動き出した。「傭兵騎馬隊も出るぞ!」
ガレミアを出撃した勇子はトルスタン経由のガスピア進行ルートを任された。やがて世界随一との呼び声もある大平野地帯に差し掛かる。これを抜ければガスピアは目前。勢いそのままに帝都を目指すことも困難ではない。が、そこはやはり強国ドラバニア。そう簡単にはいかないらしい。持たらされたのはドラバニア軍発見の報。場所は正にトルスタンを挟んで我軍の反対側。遮蔽されるもののないこの土地。こちらの存在も察知されているはずである。程なくして発せられる突撃命令。トルスタン目がけて獣人兵が駆けてゆく。(ソラン様、宜しくお願いします(・ω・))
出立していった先発の部隊を見送り、精霊は武器をチェックしていた。そういえば先発隊には、見慣れた青い鎧が居た気がする。彼も頑張って来るのだろう。「じゃあこちらは二軍って訳だね」と言うと怒られた。前もあったような、とデジャヴを感じる。「俺は偵察に入れば良いんだよね? 戦闘に入ったら帰って良い?」軽口を叩くとまた怒られた。わかったわかった、等とじゃれる精霊。――トルスタン付近にて、先発隊がルドラム軍を確認したとの報が入るのは、少し後の事だった。
「……前期の戦争だと、この位置辺りが激戦区だったかな」『前期はマロロ洞窟近辺でしたから、近いと言えば近いです』馬車の中でゴトゴト揺られながら、地図を広げてみた。隣から覗き込んでくる副隊長を突付きながら、小言を並べる。『前期はその洞窟で、敵本軍を迎え撃ったんですよ〜っ』「……で、神都コブムの警備がお粗末になったワケだ」しれっと嫌味の一言も忘れずに吐く。副隊長は『そんなコトないですっ』と言うけど……。「まあいいや、とにかく今はトルスタンに向かえばいいんだろ?」…しかし、まさか相手が帝国だとは。僕はとことん、友達を失くしてく運命にあるらしい。
張りつめた大気がひどく痛い。別部隊が続々と出陣してゆくのを、真闇に閉ざされた瞼の奥から睨むよう見送っていた。新たな情報が届くまでの誤差は、微々たる時間も惜しまれる。今頃、先発隊は敵軍と接触したろうか。故郷に戻った直後に始まった、この戦。此処には失い難いものが多すぎる。いかに厭わしく感じていようと、黙って結果を待つだけなんて出来る筈がない。だから――志願した。軽く頭を振る。今から頭に血を上らせて、肝心な時に如何すると言うのか。「…もう、そろそろかしらね」普通の待合わせならさぞ楽しかろうに、などと思う。まずは一個小隊と共に、城塞都市ジロフを目指す予定となっていた。
真夜中の空は分厚い雲に覆われている。北国であるドラバニア。その降雪量は凄まじい。永きに渡りドラバニアを守護してきた戦士達は言わずもがな。バナビスクに居を持つ我も、さほど気にしてはいなかった。しかし、行軍に関しては別問題だろう。厚く降り積もった雪は意外にも重く、脚に絡む。主要な大路は既に除雪が計られているだろうけれど、それでも多少の支障となる事は明らかだ。昏い。雪の白は僅かな光源すらも反射する。月や星が出ていたのなら、先を見通しやすくもあっただろうが。曇天が灰色の情景を描き、漂う雰囲気は何処か物哀しい。
我は今期、私用に依ってドラバニアへ仕える事となった。言ってしまえば、単に何処ぞの姫の我が儘に応えるためなのだが。全く。幾ら私兵とはいえ、こんな事に(畏れ多くも)付き合わされる身になって欲しい。夜明けにはまだ数時間の猶予がある。漁師の朝は早い。陽が登ってからでは遅いだろう。黒と紫の生地に、金糸の装飾が施されたローブを羽織り。首にマフラー代わりの使い魔を巻いて。今は帝国領アスラハンの手前で人を待っている。異装の魔導人形。帝国の地理に詳しいからと、自ら案内役を買って出て下さった。正直、有り難い。人が良いとも言う。もう幾筋目かになる紫煙が、灰の情景に揺れ、溶けてゆく。
地を揺らしながら進む傭兵騎馬隊。その先のトルスタンにもこちらに向かってくる部隊。獣人部隊だ。お互いがその存在を確認し合う。どうやら一番乗り同士のようだ。左手に手綱、右手に槍。それぞれ握る手に力が入る。こちらは突進力が命。一撃離脱の策。勢いを殺されるとあちらが有利だ。騎馬隊は速度を落とさない。「このまま突っ込め、敵陣を掻き乱す! ・・・アターック!」先頭の獣人兵に向け、大きく槍を振った。(勇子殿、よろしくお願いします)
ついに激突する両軍。戦場となったのはトルスタン。帝国軍の主力は騎馬部隊。なるほど機動性と突貫能力を重視した部隊か。対する我軍は複数の種族で構成された部隊。ドワーフを中心とした屈強な重装戦士団がファランクスと突撃槍を構え前衛を。ネコを中心とした魔法支援部隊が後衛を務める。魔法支援部隊の広域爆撃が雨霰のように帝国軍に降り注ぐ。両軍が零距離に達する前に先制攻撃を行うのだ。こと騎馬部隊を相手にする場合は僅かでも勢いを殺すことをにも役立つ。そして白兵戦へと移行する際には我軍兵士たちに向け強固な防禦結界を。加えて回復法術を乱発し、被害を最小限に抑える。
突破困難な壁と化した重装戦士団が槍を構えて突撃する。馬上の敵とて捉えることのできる槍だ。ドワーフや獣人の種族的優性による攻撃力と、幾重にも施された支援魔法による防御力。そんなルドラム軍に突貫をかける帝国軍。それは則ち防御刃の備えられた城壁に突っ込むのと同義。様々な種族的優性・特性を複合して軍隊を組織する、それこそがルドラム軍の取るべき最良にして最高の力だ。
帝国領アスラハン…、約束した地点で目的の人物を程なく発見する。金糸の装飾が施された黒いローブと首にマフラー…、いや使い魔のようだ。そんな装いの彼女に対して、私は真っ黒なローブに魔女の帽子。少々軽装ではあるが、もともと寒さには強い身体なのだ。「おはようございます…。お待たせいたしました…。」今期は後方での看護を担っていた。少々興味があったので、非番を利用して彼女の案内役を買って出てみたのだが…。いったい何をなさるつもりなのだろう?「地元の漁師さんにご用事でしたよね?ご案内します…」 彼女の先に立ち、話に聞いていた目的地へ向かう。
帝国の冬の寒さは、予想をはるかに上回るものだった。息を吐けば、それがそのまま凍りつき身にまとう武器や鎧までもがまるで氷を背負っているかのように身に堪える。そんな折の行軍の辛さは、想像を絶する。それでも勇壮な先発隊は、もう数刻前に発ったという。無理はすまい、とは思うものの。(あまり遅れをとるわけにも…ここは急いだ方がよさそうですね)小隊と合流すべく、待ち合わせの場所へ急ぐ。「アンリエッタ殿…!」声をかけながら、早速遅れをとっている自分にしまった、と思う。「す、すみません、お待たせしたようで」これから難所の行軍が待っている。
魔術師団を乗せた馬車は、マロロ洞窟を横切った。前期、帝国軍と激しくぶつかったここも、今期はただの通過点らしい。『そんな蝋燭灯して、和んでる場合か?』香りを漂わせるキャンドルを囲んで、拠点への到着を待つ間。向かいに座る相棒は、そう言いながらもワインを嗜んでた。こちらは紅茶、というか戦闘前に酒はよくないと思う。「なんだか、落ち着かなくて」『…帝国にいる"オトモダチ"が心配ってか』…図星を突かれて、手が止まった。その反応を面白がるように、彼は『堕ちたモンだな』と嘲り笑う。それに対して僕は、ただ睨み返すことぐらいしか出来なかった。
『今日というこの日に、再会するコトの無いよう祈っとけよ』彼はバツの悪い表情を浮かべて、相棒はグラスに口を付ける。血の色に似た赤い液体を飲み干して、それから目を細めた。『……で、炎のトラウマはちっとは治ったか?』「……焚き火程度なら、なんとか」『話にならねーぞ、その程度じゃ』『フォローする身にもなりやがれ』と、向かいの黒猫は頭を抱えた。「あ、アテにしてるからねっ」と、なんとか機嫌を直そうとするけど。『調子に乗んな、このクソガキ』と、また睨まれてため息を返した。そんな感じで、気持ちを誤魔化しながら戦場へと向かっていく。
幾つかの小隊を抜けると突然スペースが開けた。陣を突破したにしては早すぎる。前方に見えたのは槍を構えた重装戦士団。その後方の魔法部隊より無数の火弾が飛来する。なるほど、騎馬兵には防御を固めた長槍は効果的だ。更にその後方からの援護でこちらの勢いをも殺す。連携の取れた正規兵だろう。相性は悪いな。しかし、傭兵騎馬隊はその速度を落とさない。途中、進行方向に魔法が着弾し、足をとられ落馬する者もいる。こちらは正規兵でもなければ騎士団でもない。錬度が違う。だが・・・。
「くぐって来た修羅場の数なら負けんっ!!」敵と接触するには距離はあるが、ソランは槍を振り抜いた。ソランの放つ突風は殺傷力はない。しかし、あれだけの重装備だ。風の抵抗は直で受けるだろう。わずかに敵の狙いが反れる。次々と続く傭兵騎馬隊。無論、その厚い守りの前に進行を阻まれ、槍の餌食になった者も少なくない。ソランも脇腹に槍を受けるが、深くはない。自分を狙った敵兵を弾き飛ばした。「振り返るな!やつらは追いつけん。このまま後衛を叩く!」突破できた一部の傭兵と共に、後方の魔法部隊へと一気に進む。しかし、敵の対応も思ったよりずっと早い。できれば指揮系統を叩きたい所だが・・・。
先発部隊がルドラム軍と衝突した、との一報が告げられる。周囲が慌しくなる。「トカゲと猫の軍勢ねぇ…」そんな中、ポツリと呟く。リザードは、その強固な肉体と強力な力を持つときいている。それにネコの魔法が援護する。強い国、と言う印象が強い。「…ま、状況見ながら上手くやるしかないか」出立の合図と共に、精霊も飛び立った。
魔導人形と合流したのは、アスラハン到着から暫く後。ちょうど、四本目の紙巻煙草を咥えた時だった。魔女が被るような、つばの広い三角帽子に黒のローブ。きっと、その外套の下は何時も通り巫女衣装なのだろう。真冬にも関わらず随分な軽装だが、我も似たようなもの。他人の事をとやかく言える立場ではない。「お待ちしておりましたわ。リリティア様」顔を覆うローブを少しだけ持ち上げ、微笑んでみせる。アスラハンは東の海岸線が湾を描くその頂点、いわば岬に位置する小さな拠点。「で、何処に行けば漁師に会えるのです? 港? それとも…」皆目見当が付かない。此所からは彼女の案内が必要不可欠だった。
帝国軍がルドラムの壁に突破を仕掛けてきた。騎馬部隊の実力に余程の自信があるようだ。しかしルドラム軍とて退くわけにはいかない。なんとしてでも勝たねば明日はないのだ。地響きを立てながら現れたのはリザードマンを主とした機動部隊。帝国軍の後背をついて現れたそれは、帝国軍を狭撃する形で襲撃をかける。更に、突破されたかに見えた重装戦士団は曲線を描くような陣形をとる。まるで帝国軍を包むかのように。まるで包囲殲滅戦を展開すかのように。ことここに至って、帝国軍の前方、左右、そして後背と、ルドラム軍の四方攻撃が展開された。
人間とは骨格から筋肉からして違う獣人主力部隊。その身体から発揮される戦闘能力は人間からしてみれば脅威に間違いない。そして帝国軍の真正面に一人の女が現れた。眼鏡をかけた、一見すると人間の女。女は両腰の黒剣を抜き払い、騎馬部隊の先頭…蒼穹の鎧を纏う戦士を見る。「さぁ、お仕事の時間だよ。ちゃちゃっと終わらせちゃいましょーう。」独り言を呟いた女は、両手の剣を構える。すると蒼穹の戦士と目が合ったような気がした。女はニコリと笑顔で応えてみた。その間も怒涛の如く迫り来る帝国軍。女には、避ける素振りさえ、無い。
少年の足音は、覆い被さる金属音に掻き消されて聞こえない。周囲には同隊の軍人が居並んで待機している。多くの気配のなか若干慌て気味の声をかけられ、初めて彼の認識を許される。私の半分程しか年を重ねていない、あまりに若い少年でさえ武装に身を包む。陛下はそこまでして領土を――苦々しい思考を断つ。今、考えるべき事ではない。彼自身の意志で参戦したのだ。目尻を和らげて、何でもないように表情を取り繕う。「いえ。出発時間には間に合っていましてよ。 ……ギリギリね?」言葉尻で茶化してから、ほら、と顔を正面へめぐらせる。丁度、部隊長が進軍開始の号令をかけるべく第一声を発する所だった。
「自由騎士!伏せてた連中が出てきた!」リザードマン部隊の登場と同時に同僚の傭兵が声をかけてくる。敵軍のカードを一枚はめくれた。まあ、まだ策はあるだろうが、これだけやれば十分だろう。後は後続の本隊に任せる。ここから先は傭兵戦術。ただ「生き残る」ことだ。とは言っても、徐々に包囲されつつある。迷ってる時間はない。「左翼を突破して散るぞ!」
素早く陣を組み、再び加速を始める傭兵騎馬隊。そんな中、ソランの進行方向に立ちはだかった一人の女性。双剣を使うか・・・向こうが笑みを浮かべたような気がした。やる気、か。どうやら一筋縄ではいかなそうだ。ならば・・・「ヒューイ、陣形を崩すなよ・・・行けぃっ」愛馬の背をポンと叩くと、その上から飛び降りるソラン。ここで孤立する危険は避けたかったが、彼女のマークを外すのは危険だと、直感が訴えた。そして、目の前の双剣の戦士に向かって槍を構えた。「・・・相手になろう」
「あらま、律儀なことだね。わざわざ降りてくれるだなんて。」馬から飛び降り、自らに対峙する青騎士に話しかける女。そして相手から投げかけられた言葉。『・・・相手になろう』対する女はこう答えた。「望むところよぉー。」言い終わるが早いか、女は青騎士に向かって駆けてゆく。既に陽は地平の彼方へ沈みかけていた。真紅の夕陽を受け、赤黒く輝く双剣と槍。女は腕を振りかぶり、両の剣を力の限り叩きつけた。互いの得物がぶつかり合う。その競合いの最中、女は再び口を開く。「まあ馬を逃がしたのは正解だったろうね。あのまま来てたらあの馬、間違いなく三枚に卸してたもの(笑」
「こちらです…」黒いローブに身を包んだ悪魔と共にやってきたのは、アスラハン付近に佇む一軒の小屋…。そこからは夜明け前の時間だというのに生活の明かりが漏れていた。「ごめんなさい…。港の方がよかったですか?」ローブに包まれた彼女の表情を伺うように見つめながら、私はさらに続けた。「あの小屋は知り合いの漁師が住む小屋なんです。今の時間なら今日の出漁の準備をしていると思います。無口ですが腕は確かです…。ゼレナリュシュさんのご希望に添えると思います。」それにしても、彼女は何をしようとしているのだろうか。私には全く見当がつかない。疑問に思いつつ、そっと小屋の戸を叩いた。
『いえ。出発時間には間に合っていましてよ。』ほっ、としたのも束の間。 『……ギリギリね?』(ううっ…)何となく、周りの兵たちにも笑われたような気がして恥ずかしそうに、そそくさと隊に加わる。すると間もなく部隊長の号令と共に、進軍の合図が出される。(皆、ぼくを受け入れてくれただろうか)ふと、嘗て世話になった老ケルベロスの顔が浮かぶ。『おぬしの様な子供が命を粗末にするなど…』と叱られたものだ。「死ぬ為に戦うのではないですよ、生きる為に…」あの時言えなかった言葉が、つい漏れる。「あ、いえ…」何か変に思われなかっただろうか、と慌てて打ち消す。
魔法や、矢が飛び交う中、双剣の戦士と対峙するソラン。今は目の前の敵に集中しなければやられる。彼女が間合いを詰めた。こちらもそれに応じる。互いの刃がぶつかり、金属音が耳に響く。踏み込み、太刀筋、重み、どれも大したものだ。油断はできん。「まあ馬を逃がしたのは正解だったろうね。あのまま来てたらあの馬、間違いなく三枚に卸してたもの(笑」
距離が縮まった所で彼女が話しかけてくる。口は動いてもその挙動は確実にこちらを仕留めるものだ。「それは困るな。大事な相棒・・・なんでなっ!」火花を散らし、お互いの刃が離れ、間合いがあく。間髪入れずに槍を地面に叩きつけるソラン。槍に纏った風が地で弾け、ソランを空へと押し上げる。弧を描くような軌道で再び間合いを詰め、槍を振り下ろした。
「あはは、冗談冗談(笑いや馬刺も最近食ってないなぁーって思っただけだか、らっ!」遥か上空より振り下ろされる槍。女はそれを正面から受け止めた後、剣の接触面を傾け衝撃をいなす。「そうそうお兄さん、お名前なんていうの?」女は剣を横に薙ぎ、縦に振り下ろし、斜めに斬り上げ、斬り下げ、絶え間無く刃を振るいながら話しかける。双剣の長所である怒涛の連撃を繰り出しながら女は話しかける。「あたしはゆーこ。藍染勇子っていうの。みんなからはイサコって呼ばれてんよ♪お兄さんは?」両の剣を同時一点に薙ぐ。喧騒の中にあって、金属の弾けるような甲高い音が高らかに響き渡った。
土煙を上げながら進む軍隊。先行している精霊は、前方に軍隊を確認する。「先行部隊発見…っ、ん? 違うな…あれは…」精霊より目のいいバードマンが告げる。あれは、リザードの軍団だと。それも、自分達に背を向ける形になっていると。「え、なに、って事は」精霊より頭の回転が速い翼持ちが告げた。…挟み撃ちだろうと。「…! ヤベぇじゃん」見た情報をそのまま風に乗せて告げる。…軍隊の速度が上がった。その勢いのまま、先行部隊を背後から襲っていたリザードの群れに突っ込む。敵味方交えての、乱戦が始まった。
トルスタン城近辺。ここが戦場になってるって話だ。本軍よりも遅れて到着した僕等は、こっそりと軍隊に混じる。量より質の少数精鋭で挑んできたから、遅刻はバレなかった。「にしても、ドワーフ? ……間近で見るの、初めてだよ」『ネバーランドじゃ、猫族と同盟を組んでたがな。 あー、そういやオレもこの大陸では見たことなかったな』少し尖った鼻に、とても筋肉質な身体を眺めて小言を囁く。リザードマンとは違った迫力という物が、彼らにはあった。「……で、戦況はどうなの?」
目をぐっと閉じた副隊長にそう尋ねれば、彼は一度頷いて見せた。『えーっと……、敵の騎馬隊かなぁ、コレを長槍で突付いて包囲しようとしてます』"魔術士の眼"を開いたまま、現状を曖昧に語る副隊長に耳を貸しつつ。"騎馬隊"と言うキーワードが頭に引っかかって、こんな質問を問うた。「その騎馬隊の中にさ」『…はいー?』「…白い馬に跨った、青髪の人間は居た?」一泊置いた後、副隊長はコクコクと頷いたのを見て。ある一人の人間の名を思い出し、ため息をついた。「……面倒なコトになりそうだ」
進軍開始の号令が下り、整然と部隊は動きだす。鈍足の自分でもなんとか付いていける速度。仲間の邪魔にならないように、最後尾をついて行く。しかし、殿で哨戒など務まる筈もないから、歩兵に左右一人ずつ立って貰って。『死ぬ為に戦うのではないですよ、生きる為に…』真横での呟きは無意識なのだろう。直後、慌てたように少年は言葉を濁す。「楊俊さん…死に急ぐ為ではないのなら、私は否定などいたしませんわ」この若さで、覚悟を決めた理由は何か?申し訳程度に笑ってみせたが、綺麗な笑顔になっている気がしない。ある程度除雪されている霜の路をひたすら歩く。ジロフ到着には、まだ暫らく掛かりそうだった。
案内された其所はアスラハンの街中でも港でもなく。およそ、装飾だとか贅だとか、そんな概念とは無縁の場所。簡素な小屋だった。居住するにあたり、ヒトが実用性を突き詰めた結果とも言える。ガラスがくすんでいるのだろう。室内から漏れる光は赤く、淡く。なるほど、ね。大したものですわ。この娘に漁師の知り合いが居ただなんて、想像もしなかった。しかも、時には魚を横流しして貰うほどの仲だとか。漁師は気難しく無口な人種であると聞く。我が憂慮していた諸々の手間は、彼女に任せれば良い訳だ。「リリティア様。失礼ですけれど、御耳を拝借しても?」腰を屈めて、そっと耳打ちを。ごにょごにょごにょ…
激しく刃がぶつかった音が響いた後、金属が擦れる音が響く。お互いの命を賭けた戦いの中でも彼女は話かけてくる。まあ、嫌いではない。「申し遅れた・・・ソラン=シレジアだ」刃がぶつかり合う音が曲を奏でるように響き続ける。反撃の隙を与えない連撃だ。この間合いは上手くないな。
次に彼女の放った一点を薙ぐ攻撃を防御すると、硬直が生じた。それを見逃さず、次の一撃がきた。しかし、それを防御ではなく、身体を逸らして避ける。避け切れなかった刃が頬を掠める。そこで生まれたわずかなモーションで突きを放つ。その後も小出しに突きを放つ。必殺の一撃となる攻撃ではない。しかし、間合いは開く。あたりの戦闘もその激しさを増していく。そんな中、風が吹いた。どうやらこちらのラインも上がってきたようだ。ただ逃げ回る必要もないな。「・・・疾っ!!」牽制や防御とは一転、正直な狙いではあるが、直線的な鋭い突きを放った。
少々の間を置いて小屋から1人の男が姿を現した。厚手のコートに分厚い帽子、長靴といった服装…。漁師は不機嫌そうに私達を見つめている。会釈の後、彼女から耳打ちされた用件を漁師に伝える。彼は気の進まない様子で私を見つめていた。しかし、後ろに居た高貴そうな魔術師を見て気が変わったような表情を見せる。そして、私に用件だけを伝えると早々と小屋の中へ戻っていった。「ゼレナリュシュさん…、すべて彼に任せて良いみたいです。船も、人員も、場所も…。30分後に近くの港で落ち合うことになっています。」一つだけ私は遠慮がちにこう付け足した。「成功報酬は弾んで欲しいそうです…。高貴な魔術師様…」
「ソラン、ソランか…じゃあソラ君だ♪よろしく、ソラ君♪」緊張感など無いかのような勇子の声。しかしその主から放たれるのは全て必殺の一撃となりかねない連撃。闘い自体はきわめて真面目に行われていた。勇子の剣を避した青騎士が一転、反撃に出た。一々正確な突きだが浅い。浅いながらも避けていれば間合いが若干空く。そこで放たれた一際鋭い突き。当たれば上手くないな、そう思った。勇子は双剣を盾にするかのように構える。そこに突きが炸裂する。再び甲高い音が響く。突きの勢いそのままに勇子は飛ばされる。距離にして約5m。約5m、青騎士との間合いが広がった。
「ソラ君やるねぇ。コッチの世界では人間でもキミみたいに強いのばっかなのかにゃ?…ん?」尚も軽口を叩き続ける勇子の言葉が不意に途切れる。ガスピア方面より現れた帝国軍の増援だ。包囲戦を展開している我軍に仕掛けてきたらしい。「ふふ…お仲間到着?やっべーなぁー、こりゃ。ははは(笑」規模から察するに敵の本隊だろうか。たぶん不味いことなんだろうが…まあそんなことはどうでも良い。いまは目の前の相手をどうにかすべきだ。再度剣を構え直す勇子。陽は既に落ち、宙には白銀の満月が昇りはじめていた。
『楊俊さん…死に急ぐ為ではないのなら、私は否定などいたしませんわ』そう言って彼女は微笑むが…。心なしか、その笑顔は硬いようにも見える。無理もない。いやむしろ、ありがたい、と受け止めるべきなのかもしれない。この身を案じての事に違いないのだから。でも、と少年は、今度ははっきりと言葉を出す。「戦を終わらせる方法を探す為に、戦に参加しています。…矛盾していますかね?」我ながら大きな事を言ってしまった、と少し恥ずかしくなる。「アンリエッタ殿は、なぜ戦に…?いえ、差し支えなければで構いませんが」寒空の行軍は、まだ続く。
前方に見えるリザード軍に突っ込む後発隊。リザード達の向こうに先発隊が見える…はずなのだが、もう既に乱戦状態なのだろう、大規模で動いている兵は見つけられなかった。精霊もリザードを鎌で薙ぎ払いつつ、前へと。ふと。突然視界に敵の槍が飛び込んできた。はっとしてその槍をかわす。足を滑らせそうになり、慌てて翼でバランスをとった。……戦場で考え事、など。思わず唇を噛み締める。「しっかりしろ、俺」片手で頬を叩き、気合を入れた。
「さてな・・・ただ、他人より生き残るのが上手い自信はある」終始こちらのペースを乱してくる彼女だが、その一撃一撃は大真面目。気を抜けば怪我では済むまい。再び彼女が間合いを詰めて連撃を放つ。ソランは間に割り込み、間合いを保とうとする。そんな攻防を続けながらも、現在の立ち位置を気にかける。敵軍が次のカードを切ってくる可能性は高い。そろそろ孤軍奮闘も不安になってくる。今一番近い友軍は押し上がってきた後発隊。リザードマン部隊と遭遇する危険もあるが、逸早く合流する為にもある程度のリスクは覚悟の上だ。彼女との攻防を続けながらも少しずつ移動を始めた。
青騎士が後退を始めた。敵増援との合流が目的だろうことは容易に推測できる。だが後背にはリザードマンの狭撃部隊が闊歩している。自分(勇子)と闘いながらその囲いを突破する気なのだろうか。青騎士がそんな無策を執るとは思えなかったが、疑問はすぐに解けた。鎌を振り回す、有翼種(に見える)の女がひとり、大暴れしていた。単騎で突っ込んでくるとは…彼女も余程自らの力に自信あるらしい。というか今度は本物の人外だ。「うは、アレ何だい。ソラ君の友達かい?強いなぁー。」話をしている間にも彼我の距離は縮まる。有翼種の女はその人相が目視できる程の間近にまで迫っていた。
躊躇無しの返事を予想していなかった訳ではない。去来した胸の痛みに幾分顔を曇らせながら、そうかと頷く。戦いを終わらせる。昔から漠然と考えていた、夢物語と一笑に付されても仕方がないと思えてしまう程、途方もない話。いつ平和が訪れるのかとの嘆きも、しばしば耳にするけれど。その為に考えるべきこと、必要なものが何であるか、全く考えつけずにいる。「同じですわ。 もっとも貴方のようにではなくて…私情に過ぎませんが。 多くを失った…だからもう」利発なこの少年には、きっと伝わるだろう。最後まで言わず、風にずれかけたフードを被り直す。ややあって、大分歩きましたねと見当違いな台詞を囁いた。
程なくして、小屋から一人の男が現れた。アレが魔導人形の知り合いだろうか。屈強な体躯に必要最低限の装備。ただ、容貌は昏がりのせいもあり、良く解らない。二人の交渉を遠巻きに、フードの下から覗き見る。今は戦時だ。海に出れば軍船と鉢合わせる事もあるだろう。しかも敵は帝国の真南に位置するルドラム獣人連合。彼等が海軍を組織し、海からこちらを攻める事だって考えられる。この状況下、約束だけでも取り付けられたなら御の字。と、思っていたのだけれど…「…30分後に港で落ち合う? 本当に?」思わず聞き返してしまった。話が早い。否、早過ぎる。
所詮は兵士も大砲も搭載していない一介の漁船。海上戦闘に巻き込まれたらどうするのか。或いは、漁師達が海軍の侵攻路を完全に把握しているとでも?溜め息一つ。決まってしまった事は仕方がない。その時はその時。単騎でどれだけ出来るかは解らないが。「リリティア様、彼に伝えて下さいますか? 今宵行うのはあくまで下見。海上に長く止まる積りは無い、と」「それと。報酬は黄金が良いか、もしくは宝石が良いか、とも」
他の兵と共にリザード達と斬りむすぶ精霊。リザード軍の壁は厚いが、大分こちらが押しているようで、もう一息で、先行部隊に辿りつけるだろう。精霊一人の力では、どうにもできなかっただろうが…。少し余裕が出来て、周囲に注意を向けられるようになった。目に入ったのは青い髪。耳に入ったのは知り合いの名前の一部。
どちらも周囲の動きと怒号に紛れて、ともすれば気のせいと思う程のものだが。それが、以前の戦で世話になった彼だったならば。周囲の兵と隊列を崩さないように、精霊はそちらに進んでいった。……単騎で突っ込むほど強くはないし、恐れ知らずでもない。けれども、自分の姿が目立つのは、重々承知している。敵に注目されているかも知れないが、彼にも気づいて貰えるかも知れない。
「ああ、仲間だ・・・大切な!」再び金属音を響かせては距離を離す二人。友軍はすぐそこだ。しかし、それはリザードマン部隊も目の前である事を意味する。この乱戦だ。敵の注意がすべてこちらに向くわけではない。それでもこちらに気付いた二人が向かってくる。正面に双剣の戦士、後方に二人のリザードマン。まとめて相手はできない、賭けだな。初撃は一点に絞る。
意を決し、右のリザードマンに向かって走る。当然、この状態では彼女に背を向けている。先に左のリザードマンが仕掛けてきた。それを無理矢理避けて横を通り抜ける。これで背に二人。右のリザードマンが大剣を振り上げたところで一気に間合いを詰め、渾身の一撃でリザードマンを突き刺す。そして・・・。「・・・はあああぁっ!!」そのまま槍で薙ぐようにリザードマンを彼女のほうへと投げつけた。
「あら?」青騎士が背を向けて走り出す。意外だった。味方と合流する目的があるにせよ、こんな状況でそんな行動を取るだなんて。勇子はとりあえず追う。帝国軍の一団が迫る中での追撃は突出してしまう危険があった。無理に追う必要はなかった。しかしそれでも追ったのは、このまま彼と別れてしまうのは残念な気がしたから。でもどうしよう。あの有翼種と合流されてしまったらちょっと不味い。かと言って全力で走ってった彼に追いついて斬るのも難しいかも…と考えていたところで視界に大きな影が。
「ん?うわああぁぁ!?」影の正体はリザードマン。青騎士が投げてきたらしい。なんてパワフル。本当に人間か?どしゃあ、と土煙を立てながらリザードマンもろとも倒れ込む。いたた…と起き上がったところで次に目に飛び込んできたのは押し寄せてくる帝国軍。最悪な形で突出しちゃったらしい。「うそーん!」リザードマンを押し退けて立ち上がる。背を向けて逃げることはできない。そっちのほうが危険だ。ならば採るべき方法はただひとつ…「おっし来いやァー!」剣を構え、敵の波に抗う。次々と敵兵を斬り殺す。青騎士はどこだ。有翼女はどこだ。視界に再び捉えたとき、彼らは正に合流するところだった。
漁師の小屋の中は簡素な見た目とは裏腹に暖かかった。この地に適した造りがなされているのかもしれない。漁師は小屋の奥でなにやらせわしなく作業をしていた。漁の準備だろうか?ゼレナリュシュさんから言付かったことを完結に話す…。めんどくさそうに聞いていた彼だったが、趣旨は判ったらしい。しかし、必要最低限の回答を私に告げてまた作業を始めてしまった。彼のこういうところは苦手だ…。「お待たせしました、ゼレナリュシュさん」小屋の外で待っていた彼女にぺこりと一礼をする。
「えと…、下見でもなんでも構わない…。何時に乗るも自由…。戦時の漁は慣れている…、が、戦に巻き込まれるのはごめんだ。航海の際は心がける…。報酬は、金で頼む…だそうです。」彼が言っていた言葉をそのまま伝えた。フードの下の彼女の表情を伺う。無粋な彼の態度に、気分を害されていないか些か心配になった。「あの…、悪く思わないであげてください…。経験あっての自信だと思うのです。」「いつ乗るも自由と言っていますが…、港…、これから行きますか?」帽子を被りなおしてそっと夜明け前の空を見上げた。
「……やっぱり、ね」『空に風を纏う有翼種を見た』と、副隊長は言った。部隊を進め、戦場に立った僕が見たのは"彼女"だった。そこに近い地を見れば、一人でリザードマン達をなぎ払う"彼"が居る。『隊長、どうします?』「…"彼"はリザードマン達に任せよう。僕達じゃちょっと分が悪い」僕が睨む先には、帝国で知り合った風の精霊がいた。青い髪の槍使いとの合流を図ろうとしているのだろうか。けれど、それを易々と実現させるワケにもいかなかった。「妖猫魔術士団は僕に続け。狙うは風精霊率いる援軍部隊!」僕は二丁の拳銃を、仲間のネコ族は杖を前に向ける。
すぅっと息を吸い込み、それから声を張り上げた。「撃てぇ――っ!!」続くのは、破裂音やら発射音やら。放たれた魔術は稲妻や電光、それらが光る弾丸となって増援を迎え撃つ。決定打にはならなくても、彼等の足並みを崩すことは出来るだろう。一つ一つは弱い魔術でも、蓄積されていけば痺れは生じるだろうし。「久しぶりだねぇ、シーファっ!」かつて、とある有翼種の友人と再会した時の様に。僕は敵対するその友人の名を、高らかに唱えた。遊び相手を見つけた、無邪気な獣のような笑顔を浮かべて。
こちらに向かってくる青い髪の男性が視認できた。何か元気にリザードを振り回していたが、どうやら追われているようだ。手をそちらに向け、彼の名を呼ぼうとした、その時。『撃てぇ――っ!!』目の前に魔法の光。リザード達に紛れる様に、ネコ族達の部隊がいた。「やべっ…風よ!」自軍に急ごしらえの風の結界を張る。無論、それだけでは防げないだろうが、若干は威力が落ちるだろう。周囲の兵らも楯などで防いだようだが、少し喰らった兵もいるようだ。
『久しぶりだねぇ、シーファっ!』「お久しぶり。息災だったか? ケーシィ」他の兵がネコ族達に向かう間、精霊は目の前のネコ族に対峙する。前期一緒だったネコ族。勝気な死霊と共に在る、銃使い。「マフも息災か?」青い鎌を静かに彼に向けた。そのまま視線を巡らせるが、…青髪の騎士は見失ってしまった。乱戦状態だ、仕方ない。ため息をつくと、精霊は鎌を振りかぶる。「良い挨拶してくれるじゃねぇか、お返ししねぇと…な!」鎌を振るい強風を吹かせ、追ってネコ族に向けて駆けた。
後方の足止めはした、前方の憂いも消えた。一気に合流を・・・。その瞬間、友軍とソランの間に無数の魔弾が降り注ぐ。「シーファ殿っ!」魔弾は地を削り、砂煙を巻き上げる。向こうの様子が掴めない。敵の二枚目のカードが先だったか。こうなった以上、シーファ殿を信じるしかあるまい。しかし、お互いを最低限確認できる位置は保とう。再び向き直り、帝国兵をなぎ倒していた彼女のほうを向いた。「すまないな、少し浮気心が出た。続けようか?」
「ぅえ!」帝国軍前衛(=自分の居る辺り)に魔法弾が炸裂する。「ちょ!待った待った!アタシ居るから!ここ居るから!!」光の雨をかい潜って戦場を駆ける。結果的にどんどん突出しちゃったわけで。気付けば周り全部敵。真正面にいるのは先刻の青騎士。『すまないな、少し浮気心が出た。続けようか?』とのこと。「ウレシイね、アタシの魅力にやられちゃったってこと?」再び軽口を叩くも、あまり余裕はないかも。こういう状況、何ていったっけ…そうそう、"四面楚歌"だ。やべーなこりゃ。こういう場合は乾坤一擲に賭けるしかない。つまり、結果がどうなるにしろ前へいくしかない。
全身のバネを使い、青騎士との間合いを一息で詰める。先程までとは明らかに身体の使い方を変えた動きだ。所謂"本気モード"ってヤツだ。双剣の振るい方も、その全てが的確に急所を狙っている。完全に"殺る"つもりの攻撃だ。「とりあえず、キミを人質にでもすれば生きて帰れるかにゃ?」それだけ喋ると、勇子は無言になる。それまでの薄ら笑みはなくなり、その目には異なった色合いの光を湛えている。攻撃速度はどんどん早くなる。早くなる。早くなる。刃のみならず拳や脚も出てくる。途中何人かの帝国兵に当たった。当たった者は鎧ごと斬られ砕かれ例外なく死んだ。そんな巻き込まれるだけで即死物の連撃を繰り出し続ける。
魔導人形が小屋に入ったのを確認して。一人、懐を手で探る。掌にズシリと重く響く無機質の質量。眩いばかりの黄金を収めた布袋は、今も確かにそこに在った。今回の任に就くにあたり、主から手渡された資金の一部。これだけあれば向こう半年は遊んで暮らせるだろう。前金としては不足ない筈………と。小屋の扉が開かれ、そうして魔導人形が戻ってきた。彼女は静かに、簡潔に。まるで我の機嫌を伺うように言葉を紡ぐ。なるほど、ね。ふぅん……。この御時世に海へ船を出すだなんて、自殺志願も良いところだと思っていたが。なかなかどうして自信をお持ちの御様子ではありませんか。
「いいえ、その逆。気に入りましたわ」心配そうに我の貌を覗き込む彼女へ、にやりと唇を歪めて見せた。それだけの自信、裏付けなくして培えないだろう。経験と直感。確固たる実力が必要とされるのは戦争とて同じ。そして、自信とは幾多の会戦を生き抜いた証明に他ならない。周囲の状況が違うだけだ。彼らは海を、我らは戦場を。ならばこの身を預けても良いと、そう思える。「夜明けまでには戻りたい。早速参りましょう。あと、これを」前金ですわ。彼に渡して下さる?そう告げて、懐から布袋を取り出した。
彼女は、少し言いにくそうに返事を返した。多くない言葉の中に、とても強い想いを感じる。(きっと…あまり思い出したくない過去があるに違いない。恐らくは彼女にとって、とても大切なものが…。同時に少年は思う。大抵の人は好んで戦をするわけではない。できれば、戦など無い方が良いと思っている者が多い。それには先ず、戦の本質を知る必要がある。何が原因で戦が起こるのか…。答えがわかったからといって、何ができるという事もない。だが、そこが最初の一歩である。そんな事を考えているうちに、彼女の言葉が聞こえる。「そうですね、ジロフはそろそろでしょうか」 さり気なくそう答える。
『隊長、敵部隊がこっちに向かってきます!』「よしっ、全員後退! 例の地点まで誘い込め!」そう指令を下せば、仲間は杖を抱えて踵を返す。とりあえず、敵武将の合流は阻止できた。風と友を愛する精霊、シーファもこちらへと向かってきている。『お久しぶり。息災だったか? ケーシィ』僕の押し付けの流儀は、彼女にも伝わったらしい。言葉だけは陽気な挨拶だが、その表情はそれとは異なる。『マフも息災か?』『オカゲサマでな』白黒の毛皮を纏うネコ族も、これには笑顔で返した。そうして向かい合う間、彼女は手に持つ鎌を振りかぶる。
『良い挨拶してくれるじゃねぇか、お返ししねぇと…な!』鎌は勢い良く振られ、そこからは強風が生まれた。こちらも風術で、強風の軽減を試みるけど…、背を向けた仲間が幾人か、風に背を押されて転んでいた。「倒れた仲間にフォローを、今はとにかく下がれ!」雷の弾丸を降らせ、出来る限りの足止めを施す。それからは僕自身も、仲間を後を追って踵を返した。ただ一人、相棒だけをその場に残して。『ようやく、このオレの魔術の出番ってワケだな?』向かってくる軍勢を前にしても、彼は臆することなく。不敵な笑みを浮かべたまま、魔術の詠唱を開始した。
ああ、と頷く。周囲を憚りながら、小さく笑った。「ようやく…休憩ですね。 補給は手筈が整っているでしょうし、その間はゆっくり休みませんと」ジロフに入るまでの微妙な距離に、自然と沈黙が落ちた。心の片隅ではやる気持ちを抑え。脚を動かす以外にする事が無くなり、物思いに沈む。少年の言葉を反芻して。そもそも。帝国が他国へ攻め入る理由は周知の事実だろうけれど。帝国の夏は短い。その短い期間の天候が、秋の収穫に大きな影響を及ぼす。収穫できても来年に蒔くために何割か残さねばならないし、国への税は勿論、そして自分たちが食べる分を賄わなくてはならない。
広いだけの痩せた土。餓えれば辺境ほど皺寄せが酷い。国の備蓄を開放しても雪で物資が満足に届かないことも起こりうる。最悪木の根を噛んででも凌ごうとするが、冬ではその土が凍って掘る事さえできなくなる地方もあるという。冬の恐ろしさは氷雪にあらずと、帝国の民ならば骨身にしみて知っている筈だ。後には退けない大博打。無論、勝算あってのことだろう。この進軍に要する食料は膨大な量で、この戦が実を結ばねば、遠からず国中が飢えてしまうから。無いから、奪う。他国に食料を売ってもらえる選択肢は、なかったのだろうか…。
あっ、と顔を上げた。思考は深みに嵌っていたらしく、停止せよとの号令にどきりとする。もしかしたら、我知らず独り言を呟いていたかも知れない。都市の門が重々しく開く音が、後方でもよく聞こえた。ほぅ、と溜息を洩らす。滑らぬように歩くのは慣れていてもそれなりの疲れは免れない。ましてや、隣の少年は鎧を身に着けている。いかに鍛えていようと、年相応に辛いのではないか。余計な世話かもと思いつつも、声を掛けた。「短いようで長かったわ。 この程度の距離、普段ならなんでもないですのに。 貴方は…大丈夫ですか?」そして声量を落とし、決まり悪げに伺う。おかしな事を言っていませんでしたか、と。
ネコ部隊を追って他の兵は走り出す。ネコ族達と一緒にケーシィまで走り出して行ってしまった。「…え? あれ? ちょっとケーシィさん?」目の前に残されたのは、彼の相棒。不敵な笑みを浮かべる死霊。「何企んでんだか知らないけど、帝国兵舐めるなよ? …で」魔術の詠唱を始めるマフに、走り出した勢いのまま精霊は突っ込む。風を纏って。「最後まで唱えさせはしない!」彼に向かい、風の力を乗せた鎌を振りぬいた。
ドラバニア帝国領アスラハンに存在するとある港…。ジロフからもオコラエフからも流通することができるためか、そこそこの数の船が停泊している。「この船みたいですね…」待ち合わせの地点に魔術師様を案内しながら、ひと際手入れの行き届いた船を発見する。既に彼の漁師の手がまわっているらしい。航海には十分の数の男達が、忙しなく船上での準備を進めていた。先ほど彼女から預かった前金は、既に漁師に渡しておいた。大金を前に見たことも無いような表情で立ち尽くしていた彼の姿は、なかなか見ものだった。最後に一言…、彼はこう言った。「お前の連れは変わり者だな…」
確かに彼女は変わり者かもしれない。アレだけの魔力を持ちながら真っ直ぐに任務を見据える彼女…。その視線の先には、何を見ているのだろう…。私は、そんな彼女に興味があったから案内を買って出たのかもしれない。「ゼレナリュシュさん…、そろそろ出航みたいです。いきましょうか?」帽子を被りなおしながら、ちょっとだけ微笑んでみせる。
凄まじい猛攻。バックステップを踏みながらインパクトをずらし、なんとか攻撃を防ぐ。スピード、パワーどれも申し分ない。本気、というワケか。一発ももらいたくないが・・・。剣撃を槍で防御したとき、脇のガードが空いてしまった。「しまっ・・・!」次の瞬間には鈍い衝撃が走る。脇腹にミドルキックをもらった。数メートル吹き飛ばされた後、地面に叩きつけられる。「がっ・・・・ぐぅぅ」序盤でくらった傷の上にこれだ。意識が飛びそうになる。即追撃を受けない位置まで飛ばされたのが不幸中の幸いか。だが、こちらを上回るスピード、相手にするのは厄介だ。
ならば・・・。地に手を付き、意識を集中させる。レガースと地の一部が光と変わり、再び足の周りへと集う。やがて、鋭利なデザインの新たなレガースが構築された。そのまま屈み、クラウチングスタートのような姿勢をとる。「一意専心・・・受けろっ!」ロケットスタートという言葉がしっくり来るような加速。風を纏い、その速さ風そのもの。ただ、その分、自分への負担も大きい。だが、構っていられる状況でもない。一気に距離を詰め、大きく槍を振り下ろした。
で。死霊こと"オレ"は、敵の大群の前に残されたワケだが。"今から魔法使いまーす"と公言しているだけあってか。『最後まで唱えさせはしない!』精霊はすぐに乗って来た。魔力の匂いを嗅ぎ取った時にゃ、もう目前だ。「だが残念」スクロールを読み終え、闇から取り出したのは漆黒の大鎌。コレの柄で精霊の刃を受け止め、距離を置くように半歩下がった。「っと、もーちっと待ってろよ。面白ぇモン拝ませてやるぜ?」愛用の得物を抱え、その場でくるりと優美に回ってみせる。誘うように左腕を広げれば、そこからは更なる闇が広がった。
まるでダンスを踊るような足取りで廻るその度に。真紅のローブの内側から、漏れ出すように蠢く漆黒。そんな闇の中で、金色の光が灯る。ぽつり、ぽつりと、鋭く輝く数多の光。オレの眼の色と、同じ輝きを見せるそれは。この世の理に反し、オレみたく死霊と化した山猫族達の眼光だ。「…天下の帝国サマだ、舐めるワケにゃいかねーさ。 つーワケで、まずはオレ"達"に付き合ってもらうぜ?」やがて、闇の中から這い出た一人が唸り声を上げる。それに答えるように、オレは。「生者共に喰らい付け」と、ソレだけを"仲間"に告げた。
青騎士の繰り出す神速の一撃。ギリギリで反応し、剣を盾にする。ガキィン!と、それまでで一番の激突音が響く。火花が散る。「っ…!」重い。とてつもなく重い。速度は重さ、威力につながる。神速の一撃はつまり必殺の一撃となりかねない破壊力を持っていた。それはたとえ防御しても、だ。ダイヤモンドよりも硬い剣だ。剣は無事だ。しかし肩や腕はミシ、と嫌な音を立てる。もう一度喰らったら今度は殺られかねない。今度は勇子が距離を取る。半身で衝撃をいなし、転がるように身体を入れたあと、跳躍する。着地する勇子。青騎士に再び向き返ったとき、勇子には黒い霧のようなものが纏りついていた。
勇子はポケットから何かを取り出す。眼鏡ケースだった。自身の眼鏡を取り、それに仕舞う。霧はやがて勇子の全身を覆う。そして2〜3秒の後に晴れたとき、そこには黒銀の皮毛と真紅の眼を持つ獣頭の戦士が、居た。ヒュアァァァァ…、と、吐息が不気味に音を立てる。紅の瞳が青騎士を捉えるや否や、人狼は跳ぶ。蹴りを繰り出す。地面に炸裂したそれはバキバキバキ!と地面ごと抉り潰すように敵に迫る。しかし敵も神速の持ち主だ。簡単には当たらないかもしれない。が、勇子とて獣化変身した後の速度は変身前のそれとは比べ物にならないほどに上昇する。神速にすら迫る速さを発揮する。避わすのは容易にはいかないハズ、だ。
霧の中から飛び出した相手が蹴りを放つ。風を制御し、無理矢理ブレーキをかけ、直角に方向を変える。避けたその位置は蹴りの衝撃で吹き飛んでいた。獣化、それがそちらのカードか。間髪いれずに追撃にくる彼女。それを防御し、飛ばされる。しかし、今度はソランが一気に加速をかけて仕掛ける。お互い交差するかのようにぶつかっては大きく距離があく。その距離もお互いの次の踏み込みで一瞬で零距離となる。なんて相手だ・・・尚更このマークを外すわけにはいかないな。再び槍を強く握り締め、次の攻撃に備えた。
「(この男、強い。)」まさか生身の人間が獣化後の自分とまともに渡り合うなんて。勇子が元々居た世界では考えられなかった。「アタシの居た世界の人間もキミみたいなのばっかだったら、アタシも少しは違う生き方ができたのかな?」人外として生まれたが為に、ヒトを凌駕する力を持って生まれが為に疎まれ、畏れられ、ただ闘争だけの人生を送ってきた。しかしここはどうだ。こっちの世界はどうだ。寧く国家間の争いはあれども、あらゆる種族に居場所がある。自身が世界の敵となることなどない。それだけでも勇子からすれば、この世界はとても居心地が良い。
いま自分が置かれている戦いとて、かつて世界の敵として孤独に戦っていたものとは違う。国として、一つの目的のために数多の同志と共にある戦いだ。「いいね。こないだのオーガーといいキミといい、良い友達がたくさんできそうだよ。」青騎士と斬結ぶなかで脇腹や頬に刀傷ができる。戦闘が進むにつれ、髪が長くなる。筋肉組織が増強される。闘争本能が高ぶる。勇子にしても初めてだと思われる感覚だった。再び双剣を抜く勇子。ダイヤモンドよりも硬い刃なれば、加わる力が大きくなる限り斬れぬものはなくなる。そして人狼の強靭な腕力をもって全力の斬撃を放つ。標的は勿論、青騎士。決めの一撃、さてどうなるか…
休憩処に着くや彼女は、しばし沈黙を保っていた。行軍に疲れ切ったという風でもない。何事か沈思黙考しているに違いない。ふと気がついたように顔を上げると少年の方を気遣って声を掛けてきた。『短いようで長かったわ。 この程度の距離、普段ならなんでもないですのに。 貴方は…大丈夫ですか?』少年はすぐにそれには答えずに、やや見当違いな話を始める。「ここからずっと南へ行くと、山脈がありますね。 帝国はそこに監視所を設けているわけですが」おもむろに地図を取り出して、確認するように話を続ける。
「北からの冷たい風は、ことごとくこの山々に遮られます。恐らくは…」この先にあるであろう山脈を見据えて言う。「この山を境に、北と南では劇的に気候が変わるのではないか、と思います」このまま山を越えれば、厳しい冬の世界から少し暖かな世界へと出る事になる。擬似的に、春の訪れを感じる事ができる。「厳しい冬を越えて、春を迎える気分と言うのは、どんなものでしょうね?」戦のさ中になんと長閑な、と思われるかもしれないが。これを知らずして帝国の戦は語れぬのではないか、と少年は感じている。「おや、そろそろ出発でしょうかね? ぼくは大丈夫ですよ、お気遣いありがとうございます」
「それはどうも・・・敵同士なのが残念だがな」彼女と衝突する度に感じる。スピード、パワー、少しずつ上がっている。肩で息をし、姿勢を低く構える。向こうが剣を抜いた。決めにくるか?長引くよりかはその方がいいかもしれない。ならば・・・「賭けよう・・・私が私とする全てを」一瞬の沈黙の後、お互い、今までの最高速度でぶつかった。その刃が交わった衝撃波があたりへ飛ぶ。互いの刃は欠ける事なく、譲る事なく、雄叫びをあげる。やがて、それぞれの刃は相手の身体を求めて走った。
ソランは着ていた鎧を服同然に裂かれ、その一撃を受ける。致命打ではない。だが、軽傷などと見栄を張れるものでもない。「ぐっ、ここまでだな。・・・ヒューイッ!!」ソランが叫ぶと集団を裂くように白銀の馬が駆けてくる。すかさず愛馬へと飛び乗るソラン。こちらの一撃が通ったかはわからなかった。ここがコロシアムならば「参った」で済むかもしれない。だが、ここは戦場だ。止まったやつからやられていく。かと言ってこの場を投げ出せる状況ではない。まずは一番近場の衛生兵を探す。
殺った。そんな感覚を手に青騎士を斬った。が、僅かに浅かったらしい。彼は愛馬に跨がると、離脱を試みた。この戦場で…この乱戦場で逃げるつもりか。障害物が何も無い真ッ平らな場所でさえ、獣化形態の自分なら馬になど負ける気はしない。加えて敵味方入り乱れるこの戦場。更に負ける気がしない。「まだ終わっちゃいねー。無粋なことはしちゃいけないよ。」勇子はそう呟くと脚を踏み込む。先程刺し違えたのか、脇腹には一際大きな傷が。多量の血が流れているがそんなのは関係ない。いやむしろそんな状態だからこそこんか形で終わらせるわけにはいかない。
踏み込んだ脚、その力が一気に解放される。神速のハンターと化した獣人が駆け、跳躍し、敵を踏みつけ踏みきり、銀馬に迫る。あと僅かで腕が届く。あと僅かで追いつく。が、勇子は突然脚を止めた。急ブレーキをかけ踏ん張った地面が勢い良く削れ飛ぶ。「何だ?」おかしい。何か釈然としない。一体何がそう感じさせるのかは判らないが、勇子は違和感を感じていた。銀馬を見遣る。距離はさほどではないが、彼らは順調に離脱を続けていた。
致し方ない。あっちは諦めよう。勇子の身体を再び黒い霧が包む。霧が散った後には人間の姿に戻った勇子が居た。しかしその姿は開戦時のそれとは若干異なっていた。伸びた髪。バンプアップされた身体。そして何より攻撃的な面持。獣人としてのクラスアップだろうか。いやむしろ抑圧されていたものが解放されたといったことろか。ポケットから眼鏡を取り出す。見事に粉々になっていた。元々伊達だったが愛着もあったため何となく感慨に耽る。頬と身体の傷は…残ってしまいそうだ。まだ嫁入り前だというのになんてことだ…違和感の正体、薄々検討がついてきたが今は知らん顔をしとく。それで多分正解だ。そして勇子は後退を始めた。
意図した内容から外れた返答に首を傾げた。重ねる言葉とともに紐解く乾いた音が翻って、少年が地図を広げたらしいと知れる。言に従って、脳裏におおよその道筋を思い描く。正確な地形から懸け離れる可能性は否めないが、吹き下ろしの風は遠くまで流れて地を冷やす。その厳しさもまた、民はよく知っていることだろう。指摘の通り、帝国領は高く峰を連ねる山々によって閉ざされていて、あの山が無ければと嘆く声を、幾度耳にしたことか。『厳しい冬を越えて、春を迎える気分と言うのは、どんなものでしょうね?』南に抜けた経験はない。ただ、吹雪が勢いをなくして、ちらちらと降るものへと変わり、やがてふつりと止んで。
それから遅れに遅れて、何日か経たのちに雲間から差す淡い陽のたよりない暖かさに気付いて、春の訪れを知る。その時期になると、胸を撫で下ろすのだ。生き延びることができた、と。勿論、寄り添う人肌のぬくもりだけで遣り過ごせるほどでは、到底無いのだけれど。 「雪に降り込められたものが、ほっと目を覚ますんです。 生き物にしろ、物にしろ。 山間の村などは、雪解けで雪崩が起きやすくなるから…まだまだ気を抜けないのですが」そろそろ出発でしょうかねと、真面目であるのに何所かおどけている風に聞こえる少年に、薄い苦笑を向ける。先に垂れ流していたかも知れない己が思惟など、さして重要ではなさそうだ。
知ってか知らずかはさておき、彼の厚意に甘えさせて頂くことにしよう。頷いて、傍らに立てかけてあった杖を取る。「そのようですわね。参りましょう。 ここから先が行軍の本番と言えましょう。きつい傾斜が続きますわ。 …少々話し込みすぎましたね」門前の広場が集合場所となっている。広場から聞こえる雑談の声。恐らく私たち以外の者は既に準備を終えて待っているのだろう。ざわざわとした雑談がもたらす出立前の空気に、自然と表情を改めながら、そちらに向かって歩きだした。
港には軍船が停泊しているだろうと予想していた。いや。軍船のみならず、駐留する部隊が存在して然るべきだと。海域に面する要衝の一つが此所、アスラハン。南にはオコラエフ、北西にはレストニア城があり、アスラハンはそれらの都市と水の道で繋がっている。故に周辺の港に至るまで、相当な警備が敷かれてもおかしくは無い。………筈だったのだが。兵士の姿なぞ有りもしなかった。これはどういう事なのでしょう。敵が海から攻めてこないであろう事を確信しているのか。敵船は全てオコラエフにて食い止めるよう指示されているのか。或いは、この港が小さ過ぎて警備するに値しないのか。
解りませんわ。さっぱり。ソレが今現在の率直な感想だ。ま、別に良いのですけれど。帝国の兵士達が居たのなら、色々と詮索されたかも知れない。過去、幾度となく帝国を侵したこの身ならば尚更に。そう考えれば、むしろ悦ばしい事態であるのは確か。魔導人形が指差した船舶を検分する。速度もあり、小回りも利きそうな中型の快速艇。敵より逃げる事も想定するなら、上等と言えるシロモノだろう。船内へ脚を踏み入れると、同時に揺れが拡がった。不規則なソレが少しばかり煩わしい。「リリティア様、何をしているのです? 置いて行かれてしまいますわよ?」
自分の大鎌は、相手の黒い鎌に防がれる。「ちぇ、そっちも鎌持ちかい。大層なモンもってんじゃねぇの。 俺なんか店売りのなのにさ」舌打ちし、返す刀でばっさり行こうと思った所に。『っと、もーちっと待ってろよ。面白ぇモン拝ませてやるぜ?』「?」くるりと回る猫。広がる闇。やがて現れたのは、死霊の群れ。「…面白いと言うか…俺、そーゆーの見慣れてるし…。 そりゃ、ネコは見慣れないけど」それに対し、帝国兵士達は最初は戸惑うものの、すぐに隊長格らの指示が飛ぶ。精霊も鎌を携えて。「死霊は厄介なんだよ。痛みも死も恐れない。 だけどな」
精霊は死霊達に向き直ると、鎌に口付けをした。鉄色の刃が、蒼く光る。蒼い鎌を携えて、死霊の群に突っ込んだ。「赦しには…浄化には滅法弱い。理に反した存在だからこそ、正す力には、弱いんだ。 意志などは関係なく、ね」風を伴って、死霊に鎌の刃を叩き付ける。死霊達を呼び出した本人程の自我がない限り、それらは在るべき所に還る筈だ。「俺が何の風の化身だか、ケーシィ達に教えてたっけか? 俺は…」真っ直ぐにマフに向かって走りながら、精霊は笑った。「魂を導く風。魂葬の風だ」
山猫の死霊達が、牙を剥いて吼え猛る。敵兵士は咄嗟に指示を巡らせ、彼らに剣を向けた。意外と冷静な判断に、ふとため息が漏れる。風の精霊は、自らの得物に口付けを施した。刃は青く輝き、そこから感じ取れたのは浄化の風。なぎ払われた風に当てられ、死霊の幾人かが吹き飛ばされた。『俺が何の風の化身だか、ケーシィ達に教えてたっけか?』笑みを絶やさず、精霊は問い、そして答えを述べる。『俺は…魂を導く風。魂葬の風だ』振り抜かれた刃から、正す力の込められた風が吹く。この世に縋る死者を払い、在るべき場所に還す魂葬の風。意識が一瞬だけ揺らぐが、それは本当に一瞬だけだった。
「魂葬の風か…、確かにいい匂いがしたぜ」青の刃を受け止め、先程と同じように再び半歩下がる。残った死霊達を敵兵の方へ向かわせ、精霊と顔を合わせた。「だが生憎、オレは天に召されるつもりはこれっぽっちもない」大鎌を担ぎ直し、浄化の風を払うように一度前へと振るえば。清浄な空気を汚すようにと、闇が再びその場に漂う。「…オレを浄化したいか? だったらその気にさせてみな」言葉でなら、強がりはいくらでも言えた。その心中では。(…ケーシィ、早くしろ)珍しく、あの頼りない相棒の策を待っている。…時間の引き延ばし、まだやんねぇとダメなのか。
自分を浄化したいのならその気にさせろと彼は言う。「ふむ…」鎌を振るい、彼の鎌と打ち合わせながら、精霊はまっすぐにマフを見据えて、問いかけた。「なあ。あんたにとって、ケーシィは何? ケーシィにとって、あんたは何だ?」風に乗り、軽々と鎌を打ち下ろす。「契約し、使役される存在? 主従関係? 使われるフリだけして、取り入れるつもりの形だけの主?」棍の様に柄を突き出し、脚で蹴り上げる。
「それとも…」蹴りにより近づいた身体。吹き付けるように強い風を叩き付け。「大事なダチか? 大切な…お互いに居ないといけない。 ダチであり、家族であり、相棒」鎌を大きく振りかぶって、強く力を込めた一撃を与える。「…ハタから見てると、最後のが一番しっくり来るんだけど…。 どうなんだ? マフ」隙無く鎌を相手に向け、精霊は問う。いつしか笑みは消え、真剣な表情になっていた。
「やはり、ただでは帰してくれないか・・・」背後に迫る相手を警戒しつつ、味方のほうへと走る。獣化した彼女の速度なら我が愛馬に追いつく事もできよう。だが、馬上が不利、などという事はない事を見せよう。こちらを捉える距離まできた彼女。ソランも傷をかばいつつ槍を構える。しかし、次の瞬間、殺気は消えた。退いたのか?向こうのダメージがどれくらいだったのか掴めていないので完全な判断がつくまでは警戒は解かなかった。やがて、彼女の姿は集団の中へ消えた。どちらにしろ助かったのだ。今は急ぎ回復を・・・。
主戦場からさほど離れていない位置で、前線の衛生兵や僧侶達が慌しく動いている。ソランの傷にすぐに気付いた兵が近づいてくる。「見せてみろ・・・ほう、運が良かったな。 もう少し深かったら噴水ものだぜ」兵は恐ろしい事をさらっと言いながら回復呪文を唱え始める。それだけの相手と戦ったのだ。そして、私はまだ生きている。「よし、止血と軽く傷口は塞いだが、応急処置に過ぎん。 早く後方のテントへ・・・って、おい!」ソランは愛馬に跨り、主戦場のほうへと向く。「この戦い、そう長くは無い。無理はしないさ!」再び戦場へと向かうソラン。そう、今はただ駆けるのみ。
精霊は問う。『あんたにとって、ケーシィは何? ケーシィにとって、あんたは何だ?』次いで鎌を振り落とし、蹴りの追撃に繋がる。流れるような手の内は、流石風の精霊と言うべきか。身体がやけに重く感じる…、風の影響か…?「聞くか斬るかのどっちかに…、うおっ!?」小言を挟む間も無く、吹き付ける強風と刃の一撃が迫る。闇の魔力を固めた大鎌は、相手方の刃に打たれて砕け散った。精霊は笑みを消し、自らが思う答えを提示した。オレは思わず視線を下に向け、フードを深々と被り直す。向けられた刃の前で、導き出した回答は―。「…くだらねぇ戯言だな」
瞳に魔力を宿らせ、その眼光を精霊に向ける。「ヤツは破壊を願い、その為の力をオレに望んだ。 オレは殺戮を望み、その為の身体をヤツに求めた」赦しの風を汚すような、邪気を込めた呪いの一種。「たまたま利害が一致した、ただそれだけだ。 そこに友達やら、家族やら、相棒なんて関係は存在しない」囚われたモノは、例え精霊だろうと逃しはしない。その魔力を縛り上げられ、乾き、やがて衰弱死する。それだけの力を持つ呪縛を掛けながら、オレは―。(コレが契約ってモンだ…、そこに情なんかない…)情なんか、あるはずがないと。そう、自分に言い聞かせていた。
自分の一撃で、相手の鎌は砕け散った。ちょっと心配したが、自分の鎌は平気なようだ。(意外に、丈夫な素材で出来てるんだなぁ)マフを見やると、彼はフードを深く被る。そして放つ言葉。思わず覗き込んだのが、仇となった。彼の目を真っ直ぐに見てしまったのだ。「…!? かっ…は、てめ…!」精霊は『聖』ではない。理を正すその力も『聖』でもない。呪に対する耐性は普通なのだが、逆にそれを払う術も持っていない。魔力を素体にしている精霊にとって、その呪は確実に身体を蝕んでいた。震える身体を押さえる間にも、彼の言葉は続く。「ぅ…破壊と…殺戮…?」
二人の求めるモノ。そこに至るまでに、どれだけの憎悪があった事だろう。どれだけ、悲しい事があったのだろう。「……あんたらに、一体、何、が……いや」膝をつきそうになり、首を振る。倒れる訳にはいかない。「…契約…。そう。 ケーシィは、マフを求め……マフはそれに応えた。 契約によって…、ケーシィは、マフの居場所を、作ったんだな」(そこに情は無いと。自分に言い聞かせてるようにも見えるけど。 喰えないなあ、これじゃ)目の前の『死霊』を喰らえば、それを糧として、自分の身体は回復するだろう。呪いをかけた本人を消せば、呪いも解けるだろう。
だが。自分の居場所がある事。ここにいても良いといわれる事は、どれだけ…幸せなことだろうか。それを壊す事など、誰に出来ようか。何より死霊を喰らう事は、精霊が自らに禁じている事。「ごめんな…」(『君は真っ直ぐすぎる』か…)かつて戦ったある男の言葉を思い出し、苦笑する。鎌を地に突き立て、杖代わりにした。青い光は、もう宿っていない。そこに注ぐ魔力すら惜しい。「その想い、受け入れて…やるぜ!」崩れ落ちそうになる身体を気力だけで奮い立たせ、再び鎌を振るった。だが、先程のそれと比べ、かなり軽いものだった。
呪いの邪眼は、すぐにその効力を見せ付けた。精霊は体勢を崩し、震える身を抑え、首を横に振る。『……あんたらに、一体、何、が……』掠れた声で、けれどしっかりと聞こえる声で精霊は言う。契約によってオレとヤツは、それぞれの居場所を得たのかと。「いちいち美談にすんじゃねぇよ…。 情を謳い、愛を騙りたがるのはアレか、人間の真似事か?」睨みを更に効かせて、呪縛の念を高める。仇名すモノに対し、情けなどいらない。…人間が好きな精霊。それを自称する精霊は相当珍しい。そんな精霊の魔力は、どんな味がするだろうか。
相手の鎌に宿る青い光も、今じゃ消え失せた。それでもまだ、精霊は戦うことを止めはしない。『その想い、受け入れて…やるぜ!』振るわれた鎌を、伸ばした爪で弾き返す。魔力のない武具での攻撃など、霊であるオレには効果が薄い。精霊も承知の上だろうが、説教されながら斬られるのはウンザリだ。「…同情してるつもりか? …今時流行らねぇよ、そんな物語」物語、と口にしてふと思い出した。かつてケーシィが、あることを問い忘れていた。戦場で出会った、黒い髪の人間に対して、ヤツは。『聞きたいことがあるんだけどさ』と。
「…そういやお前、帝国暮らしは長い方だったな」口調は親しげだが、呪縛は尚も解かない。反撃のスキを与えるなど、バカがすることだ。あくまで優位に立ったから、今もこうして喋れてるだけで。「お前に、ヤツの代わりに聞いときたいことがある。 満足の行く答えかどうかは、この際は別として、な?」この後紡がれた言葉は、ヤツことケーシィの声で。ヤツが初めて"壊した"人間へ、泣きながら尋ねた質問を述べる。「…ネコの毛皮とか剥製とかって、いくらで売れるものなの?」「あの時はそういや、返答を待たずに銃声が鳴ったな」と。そんなことを思いながら、精霊をじぃっと睨んでいた。
(ヤバイ…目が、霞む)自分の鎌は難無く弾かれる。たたらを踏んで、それでも倒れないように踏みしめて。鎌を向けながら、精霊はふと首をかしげた。「や、本当の事だろ? 居場所……寄代が、はっきりしねぇと、 あんたら…死霊は、自我を、なくしていくもんだし…」それだけはっきりした自我を持つのならば、それは良い寄代という事だ。契約だとしても、利害の一致だろうと、それは事実。「それに同情って。そんな余裕、あると思うかい?」苦笑を浮かべる。「想いを受け入れるのは俺のお仕事なの。 人々の想いから生まれたから…そうだな、人間臭いのは当然というか」
切れ切れの言葉は、何故か少しマシになっていた。違和感を感じる間も無く、問いかけられる。「ネコの、毛皮?」唐突過ぎてきょとんとした。が、すぐに首を振る。「そーいう所には関わらないようにしてるから、俺は知らない。 だけど、そうだなぁ」顎に手を当て。「ピンキリなんじゃね? 珍しい毛並みとか、希少種とか、そういうのは高く売れる。 人の愛玩用の奴隷とかと一緒さ。例えば…」精霊が好事家に近寄らないのには、訳がある。……自分も狙われるからだ。白い翼を複数纏う姿。風の精霊。人間にとっては、かなり珍しいモノらしい。
「俺なんか、結構高いらしいぜ? 城が2,3個建つ…とか聞いた事あるし」にやりと笑う。先の一撃だけで。少しだけ元気になった。…そう…「質問の答えになったかな? しかし……はは、やべぇなこれは…」精霊のもう一つの顔。魔力が不足し、渇き、目の前に糧がある。どうして、それを喰らわずにいられようか。意志あるものを喰らう。それは嫌悪するものでありながら甘美で…。止められない。「もっと、ちょうだい…」熱に浮かされた様に呟き、再び鎌を打ち下ろす。そんな自分を、誰にも見られたくなかったが…けれども…
激化する戦いの中、勇子が帰陣する。すると多くの待機兵や衛生兵が駆けつけてきた。どうやら先の青騎士との闘いの様子が伝わっていたらしい。多くの前線兵の死傷者が運び込まれている状況だ。加えて敵武将との激戦の末の行方不明。勇子死亡説も流れていたらしい。「勝手に殺してんじゃねーよw」と笑み混じりに応え、安否を問う仲間には「大丈夫大丈夫。」と制しながら長椅子に腰かける。水を飲みながら、戦場に思いを巡らす。実際に肌で感じたことを反芻する。この戦は負ける、と。ならばじきに撤退戦が展開される。傭われ兵としての仕事はまだ残っている。勇子は天井を仰ぎ、目を閉じた。
すぐに仮眠に入った勇子が起こされたのは数時間の後。いよいよ状況がマズくなってからだった。とりあえずボロボロ血まみれの服を着替えちゃう。ふと、鏡に映った自身を見る。一番に目につく頬の傷痕。人狼の高い再生力故に傷自体はふさがっている。痕も、下手くそな縫合をしたような不細工な痕にはなっていない。が、ただそこだけ肌の色が違う。「はふ…」と一つため息をつくと、勇子は武器を取る。聞き及ぶ限り、戦場はかなり押されているらしい。再編成された遊撃部隊に加えられた勇子は、僚兵と共に直ぐ様出撃する。先の話になるが…戦後、勇子の帰還報告があがることはなかった。
居場所、ねぇ。確かに死霊が、こうして自我を保っていられるのも不自然だ。だから生者と、正式な契約を交わしておく必要がある。…外からは死霊だの、ゴーストだのと囁かれるが。正しい名称を挙げるなら、オレは"使い魔"に近いのかもな。『ネコの、毛皮?』先程の問いの意図は、よく伝わらなかったらしい。無理もないよな、場違いにも程があるし。(そーいやヤツの親父の毛皮、いくらで売れたんだっけな)せいぜいテント10個分だったかね。それがヤツの耳に入った時は…、盛大にブッ壊れやがった。親父の死因を知らなければ、アイツはフツーでいられたかもな。
「…で、ソレがお前の"裏ッ側"か?」何時しか精霊は、先程とは全く異なる眼をしていた。まるで目の前に置かれたご馳走を、お預けされてる獣の様。こういう本性をむき出しにされると、いろいろと面倒だ。振り上げられた鎌は、再び打ち下ろされる。喰われてたまるかと、コレは流石に下がって避けた。『もっと、ちょうだい…』「やらねーよ」呪縛を少し和らげつつ、その場を少しずつ下がっていく。このまま精霊が腹ペコ状態なら、少しは誘導出来るかと考えたからだ。オレ自身をエサにすんのは、かなーり癪だが。「つか…、そろそろ頃合だろ」
そろそろ頃合だ。後方に下がった"僕"は、そう判断した。マフには頑張ってもらってるし…、こっちも頑張らないと。『ところで隊長…』「…なに?」副隊長は目をぱちくりとさせながら、天を仰いでいる。正確には、"巨大な何かを見上げている"。『"コレ"……、一体どこから連れて来たんですかぁっ!?』「ふふん、カッコイイだろ? ちょっと召喚してみたんだ」『ちょっとってレベルじゃない…』ちょっとってレベルじゃない召喚獣、水晶竜が計3体。頃合だし、さくっと活躍してもらうことにしよう。「セイントファングの準備を、帝国兵を迎え撃つよ」それに答えるように、3匹の竜は咆哮を上げた。
「このまま一気に押し込む!突き崩せ!」辺りの指揮をとっていると思われる軍人の怒号が響く。戦闘は僅かに散漫になってきた。優勢には見えるが、風向き一つでひっくり返る可能性もある。こんなときは士気を上げるだけでも十分効果はある。ソランも愛馬に乗り、すれ違う敵に次々と一撃を加えていく。その瞳は広く戦場を睨み、誰かを探していた。(まだシーファ殿はどこかで戦っているはず・・・無茶はするなよ)
『やらねーよ』「けち。ちょっと位いいじゃねーか」鎌を避けられ、子供の様に唇を尖らせる。…身体も精神的にも大人でも、実体を持つようになってから2年も経っていない。理性を失い、本性をむき出しにした精霊は、子供そのものだ。魔力の枯渇を、こういう形でしか補えない自分が惨めで惨めで、押し潰されそうになる。だが、何処かでその背徳感を楽しむ自分もいる。禁忌を犯す愉悦を止められない、そんな自分は大嫌いで誰にも見られたくないのに、誰かに叱ってほしいと願う。「逃げるなよ」翼を広げ、死霊を追いかける。鎌で斬りかかり、蹴り、返す刃で斬りつけ。
どれも容赦のない、鋭い攻撃。呪は未だ身体を蝕んでいる筈なのに、攻撃を止める気は更々ない。息が上がる。身体を熱が駆け上る。淡褐色の肌に浮いた汗は、身体を冷やす所か更に熱を加速させ。「――鎌鼬!」至近距離で不可視の刃を放つ。「はっ…はぁ…ぅ…」ぞわりと、吐き気の様な何かが込み上げた。泣いたらいいのか笑ったらいいのかわからず、ただ喘ぐ。……誘い込まれている事に、精霊が気づく事は無かった。
で。"オレ"はヤツとの合流を目指し、移動を開始した。死霊もきっと驚く形相の精霊を、その背に連れて。『逃げるなよ』「人気者は辛いねぇ」翼を広げて飛び、鎌をブン回す精霊をちらりと睨む。呪縛は十分に掛かってるハズだが、精霊はもう止まらない。極限状態に陥ったヤツは、何をしだすかわからないというが…。『――鎌鼬!』――!!背後から聞こえた声よりも早く、背を突き破る痛み。すぐ後ろまで迫っていた精霊が、刃を放ったのだと。…腹から生えた、見えない刃を眺めながら――。
突如、戦場に降り注いだのは無数の光の槍。それらは辺りの帝国兵を、次々と貫いていく。そのうちの1本も、丁度オレの真後ろにドスンと落ちてきた。…おそらくその槍は、精霊を狙ったのだろう。見えない刃を振り払い、オレは地に転がり込む。そこへ、オレの元へ駆けつけてきたのは――。『マフ―っ!!』ケーシィだ。ケーシィの声が聞こえる。…どうやら、誘導に成功したらしい。「バッカ野郎が…、遅ぇんだよ…、がはっ」僅かに霞む視界の中、オレが宙に見たものは。不安と怒りを、蒼い双眸に宿した主の顔だった。
私達を乗せた船は大陸を迂回しながら北へ向かう。漁師達から話を聞いていた帝国の北の海域…。なるほど…、私が知っている海とは性質が違う。張詰めた空気が辺りを支配し、密かに持ってきたお茶すらも氷ってしまうのではないかと思ってしまうほどの極寒の域。周りを見ると、船員達は皆、相応の装備をしている。私ももう少し厚着をしてくるべきだったか…。氷の魔導人形が凍えなどしたら、いい笑いものだ。
漁師の話では、この海域はまだマシな方だそうだ。ゼレナリュシュさんの望む海域は、それこそ場慣れした漁師すら命を落としかけない魔の海域。飲み込んだ全てを凍らせるその海が、荒れていないことを祈るばかり…。そんな所とは知らずに、気軽に着いて来てしまったことにちょっと後悔を覚える私だった。ただ…、そんな海域では戦に出会う心配もないかもしれない。そういえば、彼女はナイトメアに仕えていたとか…。こんな寒さにも慣れているのかもしれない…。
『…少々話し込みすぎましたね』そう言うと彼女は穏やかな表情を少し引き締め、歩き出す。言われてみると、その通りである。いつまでも話込んでいる状況ではなかった。ここは戦場、勿論忘れたわけではないが…。どうも夢中になると周りが見えなくなる辺りは年相応と言えばそうだが、それも時と場所に依る。「す、すみません、すぐに…」慌てて立ち上がると、やや小走りに彼女の後を追う。(もう少し、話をしてみたかったですね…)厳しい寒さに暮らす人々が、春を望む事。餓えに苦しむ人々が、食を求める事。これらは、何ら責められる事のない、純粋な欲求に違いない。
(純粋な欲求と、欲望の境目。 この辺りに、どうやら鍵がありそうですね…)少年の見るところ、彼女ならこの問いに答えられるかもしれない。が、これ以上尋ねるのは彼女の話したくない部分に触れるような気がして、憚られた。何より、もはやのんびりと話をしている状況でない。歩き出すと、話すどころか口を開くのも辛い。黙々と、隊に付いて行くのがやっとである。「……」(なるほど、春が待ち遠しいですね)そう言おうとしたが、言葉にならなかった。
見えない刃…鎌鼬は、『死霊』の身体を裂いていく。更に追い討ちをかけようと鎌を振りかざすが…(ダメ、逝ってしまう!)心の声と。突如降ってきた光の槍が、それを遮った。槍を避け、飛びのいた精霊の視界の中で、『マフ』が倒れる。……手遅れだったかも知れない。ぞわぞわと熱とも冷気とも取れるものが、背筋から湧き上がる。が、微かな声が聞こえた。彼の声。駆け寄ってきたケーシィに何か言っている。
「……は」ため息。顔を俯かせ、一呼吸。呪縛により失われていた魔力が、彼を糧として戻ったというのに、崩れ落ちそうになる身体を、風が取り巻いて結界と成す。「く…ぁ…、あああああぁぁぁぁぁっ!」自分を押し潰そうとする感情から解放するように。言葉にならない叫び声をあげながら、精霊はネコ族の少年に飛び掛った。
魔力で構成された体を、ヤツにぐっと抱かれる。それと同時に、削り取られた魔力が少しずつ戻ってきた。契約者から使い魔への、魔力の供給か。…つか、力いっぱいに抱き締められてかなり苦しい。「そろそろ放せよ…、目の前に敵がいんだぜ?」オレの声が届いてないのか、ヤツは微動もしない。それどころか、爪まで立てて更に抱き竦む始末だ。「おい、いい加減に…」そう言いながら、ヤツの顔を覗きこんで見た。それっきり、オレも開いた口が塞がらなくなった。(……コイツはどうして泣きそうな顔をしてんだ?)そう思った時、ケーシィは自らの袖で目元を強く擦った。
『ウソツキ、大丈夫だって言ってたクセに…』そんな小言を聞き流しつつ、視線をちらりと変えてみれば。オレの魔力を喰らって、力を取り戻した精霊がそこにいる。それは再び翼を広げ、オレ達へと飛び掛って来た。その時だ。背後から竜達の咆哮が響き渡る。精霊の行く手を阻むかのように、光の槍が再び落ちて来たのだ。呼び出した竜に、後方から支援射撃をさせているのか。『お前らなんかに…』ケーシィは顔を上げ、そして。『僕達の"契約"を…、壊されてたまるかぁ――っ!!』空をも切り裂く、破壊の咆哮を轟かせた。咆哮は闇の刃と化し、周囲の敵達を血で染めていく。
殿を務めるために出撃した遊撃部隊だが、激戦の中ひとりまたひとりと倒れてゆく。勇子の属する隊も例に洩れず。最前線に到達する頃には僅か数名にまで人数を減らしていた。撤退戦に於いて後退を始めた友軍を、追撃する帝国軍から守るのが自分達の仕事。生還することなど命じられていない、謂わば捨て駒。傭われ兵には誂えの役目だ。「うは、なんだアレ。テンション高すぎじゃね?」最前線で目にしたのは猫の魔法使いと例の有翼種の女。双方とも超ハイテンション。最悪、あの猫兵を囮にして他の兵を逃がすって手もアリだ。十分敵の注意は引けてるし。
まあしかし無益な争いを続けるのはあまりうまくない。どうせなら意味の無い戦いは止めたほうがよい。ならばあの二人をどうにかしないといけないわけだが。さてどうしよう、と考えてる間に猫の彼が広範囲に攻撃を撒き散らす。危なっ、こっちにまで飛んできた。もうそろそろヤバいんじゃないの?と傍らの仲間。「ヤバいったってアレじゃあ話も聞いてくんないよぅ。」と勇子。有翼種の女は明らかにオカシイ状態だ。猫の彼だけならまだしも、彼女にまで来られると多少めんどい。「さてどうしよう?」押し寄せる帝国兵を蹴散らしながら、勇子は思案に耽る。
再開された行軍は、すぐさま無言となった。少年の気配を時折確認しながら、杖に縋るように歩く。唯一露出した顔面が痛くてたまらず、無駄口をたたく余裕など簡単に奪い去る。考え事もろくにできない。足を雪に取られてしまうから、ひたすら前進することに意識を集中せざるを得ない。(帝国の冬は、これほどまでに厳しい)山岳地帯に近付くにつれ、大地の角度が徐々に傾く。膝に掛かる負担で見えずとも分かる。登頂するには骨が折れそうだ。考えるだけでも辟易する。(…楊俊さんと、もっと話してみたかったわね)名残惜しい。願わくば、小声で話さなくてもいいような場所であったなら。今が戦の最中でなければ。
今は叶わぬ望みだった。ああ、同じように黙りこくっている少年は大丈夫だろうか。鎧の重量が体重にそのまま圧し掛かり、負担は私よりも酷い気がする。強張った舌をゆっくりと動かす。いざ口を開こうとすると極々短い、掴み所のないような言葉が零れ出ただけであったが。「いつか…また。そして帝国の春を」肌で感じ取ったことを、できたら聞かせて欲しいと思った。と――前に居た兵士の背にぶつかった。幸い鼻を打たずに済んだが、反動で後ろへよろめく。麓まで来たらしいが、歩く速度を緩めたのに気付かなかった為で。注意喚起の号令に消え入るように、慌てふためきながら頭を下げる。「す、すみません…っ」
船は出港から今まで、海岸線を左に捉えつつ航行している。その事実に依り、我らが北に向かっていると知れた。恐らく、この先には流氷が漂っているだろう。冬の海がどういうモノか、自分なりに理解をしている積りだ。バナビスクとゼラリオン。両者の状況が、そう異なるとは思えない。流石ですわ。操舵の技術は勿論だが、何より驚くべきは、そう。此所に至るまで、敵はおろか味方の軍船にも遭遇していない事。進路の選択も悪くない。北海に入ってしまえばこちらのもの。北の海域。流氷が構築した天然の要害に身を投じる為には、船底を補強するか、或いは小回りの利く中型以下の船が必要になる。
例の漁師の、その自信の根拠が見て取れる。なるほど。下見で済みそうにありませんわね、これは。遠く、聳え立つ建造物が左手に認められた。夜闇がその輪郭を朧にしているけれど、きっとアレはバムルの塔。という事は、そろそろ準備を始める必要があるだろう。「リリティア様、貴女にお渡しするモノが。はい、これ」にこりと微笑み、魔導人形の少女へロープの束を握らせる。
目の前に光の槍が落ちる。その時やっと、前方に竜がいる事に気づいた。(っていうか…何アレ)竜の巣穴で幾度かドラゴンは倒した事がある。サイズも似たようなものだ。要はでっかいトカゲである。が、その体は水晶の様に輝いていた。そしてこの光の槍。「や、規格外だろ?」こんな竜、何処から呼び出したと言うのだろう。双竜の旗を掲げる帝国兵も、攻めあぐねている様子だ。
(まぁ竜殺しを抱える国なんだし、その内何とかするだろうけど…、その間に)召喚者を叩くしか無いだろう。冷静になった頭を、先程の痴態がよぎる。「〜〜〜〜〜っ」頭を抱えてゴロゴロしたくなるが、それはおさえておさえて。光の槍を避けながらケーシィの元へ辿り着くと、マフを抱えて絶好調に怒っていた。(気持ちはわかるけど、怒るなよ)マフを自分の前に置いた以上、危険は承知済だった筈。それに彼は役割をきちんと果たした訳で。と言うか、そもそもこっちの方が個人的に劣勢だったし…。
「ああもう。こっちが悪い子みたいじゃねぇか」理不尽を感じながら、鎌を振りかざすと同時。ケーシィは叫び、声が鋭い刃となる。「いってぇ…っ」ある程度は風で防げたものの、刃は容赦なく身体を切り裂いた。が、勢いを殺さずに、鎌を持ったまま。「マフは生きてるだろーがこのもふもふっ子がー!」思いっきり鎌を握った手で殴りつけた。容赦なく。握ってるからグーで。というか何かを握って殴るってかなり痛いはず。
見つけた。シーファ殿だ。混戦の中、遠目にだが仲間の姿を確認する。同時に、相手も知った顔である事を確認した。そして、更に気になったのがその後ろに構える竜。なんともまぁ、色んなものが出てくるものだ。つい先ほど衛生兵に言った言葉を撤回せねばなるまい。光の槍はシーファを狙っている。幸い、竜はこちらには気付いていない。まずはあちらの注意を引くか・・・。ソランは徐々に愛馬を加速させてゆく。その姿は戦場を駆ける風が如く。
最高速度に達したところで槍を頭上で回転させた。槍は風を纏い、轟音を放つ。「・・・はああああぁぁぁっ!」勢いそのままに人馬一体となった渾身の一撃を竜に叩き込む。貫けはしなかったが、竜の横っ面を叩くような形で吹き飛ばした。直後、光の槍の矛先はこちらを向く。器用に愛馬を操り、降り注ぐ光を避けていく。これでやつらを引き付ける事はできよう。ただ、気になるのは二人のダメージだ。折を見て無理にでも退かせるか。竜の気を引きつつ戦場を駆ける自由騎士。先ほどの傷口からじわりと血が滲み、その表情は引きつっていた。
消えかかった相棒を見て、驚きのあまり頭の中は真っ白になった。横たわる彼に駆け寄る時には、困惑と恐怖で今度は真っ黒になり。魔力を削られた彼に触れれば、行き場の無い怒りで真っ赤に染まる。激情のままに、"僕"は咆哮の刃をばら撒いた。…思い直せば、なんて理不尽な怒りだろう。敵の軍勢の前に彼を置いたのは、僕自身なのに。ぐっとしがみ付いた腕を、ぐいっと引っ張られる。それに気付いて視線を落とせば、相棒は呆れ顔だった。『…ゴーストが二度も死んでたまるか。つか、離せ』…やけに冷静に諭されて、叫んだ後だからか、気持ちが落ち着いた。「…ごめん」と呟いて、顔を上げた時。
『マフは生きてるだろーがこのもふもふっ子がー!』その言葉の後の、ほんの一瞬だけ、記憶が無い。気付いた時には僕は仰向けで、左の頬が酷く痛んでいた。「ぐぅ〜〜〜っ……」痛みとか羞恥とかもあって、その場に小さく、唸りながら蹲る。光の槍の標的が、"別の相手"に変わったことにも気付けてない。気持ちは動揺してる上に、頭の中はパニック状態のままだ。そんな中でも、やや涙目のままでも精霊をじぃっと睨み。よろつきながらも立ち上がって、ここでまた吼えた。「誰が…、だぁれがもふもふっ子だーっ!」頭部を殴られたお陰で、怒りの論点が大幅にズレていたケド。
自分の拳を受けてケーシィは勢いよく吹っ飛んだ。暫し蹲った後。涙目でこちらを睨み付けて来る。『誰が…、だぁれがもふもふっ子だーっ!』そっちか、と。精霊はちょっと呆然とした。だが考えてみれば。男の子としては、もふもふだの可愛いだの言われるのには抵抗あるだろう。その複雑な気持ちはわかるような…。「もふもふはもふもふだろーが、もふり倒すぞこのヤロー!」…もはや子供の喧嘩の様な台詞と共に、精霊は風となって舞う。具体的には腕を伸ばして肘の内側を相手の首に打ちつけるようにしてすれ違う。……難しい事をいうが、簡単にいえばラリアットである。
可愛いだとか、もふもふだとか帝国で言われた時は、同国民の好で水に流したけど。…正直、そう言われるのは苦手で、嫌だった。だから。『もふもふはもふもふだろーが、もふり倒すぞこのヤロー!』「なっ……んだとぉっ!」精霊の言葉に過剰反応、冷静さの欠片もなく反論を叫んだ。武器を取り出すことも忘れ、爪を伸ばして牙を剥く。精霊の伸ばされた腕に向けて飛び掛ると、がっしりと爪を立てる。獣の爪牙にかかれば、相手を押さえつけることなど容易のハズだ。もふもふでも、ふわふわでもない自慢の爪牙。それらに強い呪縛を込め、再び精霊を蝕もうとしていた。
腕にかかる重み。逆上したのか、武器も持たずに思いっきり腕に爪を立てられた。「かかったな?」いや別に何も作戦は立ててなかったのだが、ついそう言って。にやりと意味なく意味深な笑みを浮かべる。…が、あまり宜しくない状況だ。爪から呪詛が流れ込んでくる。「…それはイヤだっつーの。 んもー、やる事がいちいちいちいちねちっこいんだよ。 マフをけしかける事といい、ヘンテコな竜呼び出す事といい。 極めつけは呪詛かよどんだけ黒いんだコラ。 男ならばガツンとガチンコで行かんかい! じゃねーともふもふっ子撤回してやんねぇぞ?」
くらっとする頭を振り、立て板に水状態で喋る精霊。こういう時は心が弱くなったら本当に負けである。そして至近距離で、鎌を手繰ってケーシィの喉元に向けて。「風よ我が意に従え!」精霊を中心に、無数の風の刃が荒れ狂う。但し接触している為、精霊自身も斬り付けられるが。「掴んでいられるならばやってみろやぁぁ!」爪を立てられている腕を無理矢理自分に引き寄せ、膝蹴りを繰り出す。皮膚が、肉が引きつれ、酷く痛んだ。
呪縛を込めた爪は、精霊の腕を捕らえた。そこで投げ掛けられた声が、チクリと刺さる。言い返せないのが悔しくて、また唸り声を上げた。「そんな綺麗事…、どこでも通用すると思うな!」鎌の切っ先が、僕の喉元へと向けられ。瞬く間に生まれた風の刃が、次々と身体を切り刻む。痛みに怯みながらも、歯を食い縛ってその場を堪えた。『掴んでいられるならばやってみろやぁぁ!』刃の嵐の中で、身体を引き寄せられ。腹には重い一撃を受けて、たまらず身を竦ませた。「がっ…、けほっ…」蹴り上げられた衝撃で、息が詰まって咳き込む。気付けば精霊は僕の爪から逃れ、少し距離を置いた所にいた。
『そんな綺麗事…、どこでも通用すると思うな!』「ああそうさ綺麗事さ! でもそれのどこが悪いっつーの!」引き攣れた腕がずきずきと痛む。全身傷を負っていて、どれが自分の血で相手の血なのかわからない。けれども、呪縛と出血とで震える足を踏み出す。「綺麗事も矜持も信念も。 どんなつまんないものでも、ささやかなものでも、 戦場に持っていかなけりゃ、俺達はただの道具になっちまうだろうが!」もはや何言ってるんだかわからなくなってきた。傷を負った片腕は、折れてはいないが力が入らない。傷を負っていない利き腕で鎌を構えて。
「大体なぁ、あんたひねくれ過ぎなんだよ。 若いんだからもうちょっと熱い所を見せろっての!」走り出し、風を伴い鎌を振りぬく。が、そろそろ限界だ。力は大して入っていないだろう。…それは、あちらも同じかもしれないけれど、先に倒れる訳には行かなかった。
言葉の一つ一つが、胸に突き刺さる。それが苦しくて、尖った耳を思わず伏せた。「嘘だらけの正論と信念だけで、何が出来るって言うのさ…。 力の無い正義なんて只の妄言だ、戯言だ、何も変えれやしない!」わんわんと喚き散らしながら、顔に付いた血を袖で拭う。負けじと言い返すことだけに必死な様は、まるで子供の様で。懐に収めた杖を握り、それを乱暴に振り回して暴れだした。「結局は力が、魔力が、暴力が何もかもを制するんだ! 壊すにしろ、殺すにしろ、護るにしたって、全部そうだ…。 だから僕は契約したんだ…、偽だらけの正義をブチ壊す力の為に!」呪いの言葉と激情が、溢れ出して止まらなかった。
「もう今更…、戻れるわけないじゃんか…」すすり泣くような声で、ぽつりとそれだけを呟く。振り返ることなんて、決してないと思っていたのに。どうして今更、後悔の念が浮かんでくるのだろうか。今も尚、風を纏う刃が迫り来る。がむしゃらに振った杖で出せる魔術なんか、あるハズもない。そんなコトにすら気付けずに、虚しく空を斬る杖を眺めている。「戻れないって…、わかってたハズなのに…」刃は振り抜かれた。お気に入りのローブは切り裂かれ。毛皮の奥から、真っ赤な血が噴水の様に――。
(ああ、そうでした)寒さのあまり、己のことばかりに気を取られていた事に気がつく。(目の見えないアンリエッタ殿は、一体どれほど…)難儀されている事だろう、と考えたまさにその時。『す、すみません…っ』紛れもない彼女の声に、思わず声をあげる。「だ、大丈夫ですか…?!」寒さに掻き消されないようにと、はっきり声に出したつもりが妙に素っ頓狂な調子となって周囲に響く。「す、すみません、もう少しぼくも気を配っていれば…」と同時に、隊はいよいよ最大の難所に近づいてきた事を改めて認識させられる。
(こ、これは…)平地ですらこれほど苦労なのにこれからこの山を登るとなると、一体どうなってしまうのか。「は、春を迎える前に、無事冬が越せるか心配になってきましたね」努めて、冗談を言うように言ったつもりだったが幾分笑顔は引き攣っていたに違いない。顔の表情はまだしも、微妙な声の調子などはどう取られてしまったろう。(これでは逆に、気を使わせてしまったかもしれませんね…)ともあれ、これは相当な意志と覚悟が必要になりそうだ。
子供のように杖を振り回して叫ぶケーシィ。駄々っ子のようなそれに、精霊は呟くように。「力を求めるのが悪ぃとは言ってねえよ。 力が全てなんて言い出しちゃお終いだけどさ。 でも。……全てが嘘か?虚実か?」容赦なく、鎌を振りぬく。「ほんの少しの『本当』の為に、俺は戦ってるんだよ!」が、飛んできた何かに弾かれた。大して力の入らない手で握られた鎌は、宙を飛び、地に突き刺さる。「……」何かは、剣だった。それを投げた傭兵の女性が何やら言ってくるが…。精霊は興ざめした表情を隠しもせず、彼女から視線をすぐに外して、ケーシィに向き直る。
ここはお上品な闘技場ではなく、戦場だ。誰もが空気を読んで戦っている訳ではない。ましてや味方の武将が大きな傷を負ったなら尚更。だけれども、非常に気分が悪かった。精霊はこういう時は何か軽口でも叩く所だが、それすらしない。ただ、互いの潮時は痛感していた。「独りで不幸で恨んでるなんて顔で戦ってんなよ。 あんたはマフと契約し、マフはそれに応えた。 独りじゃ、ねえだろ? それに…」ちら、と傭兵の女性を見て。「少しは仲間とか、信用してみろよ。 一人じゃないって、結構楽しいぜ。そりゃイヤな事もあるかも知れないけどさ」風で鎌を運び、手に取る。
が、それを背に仕舞った。「マフ、悪ぃ。ケーシィ泣かせちまったから、フォロー頼むわ」近くに居るであろう死霊の彼に無茶なお願いをすると、精霊は踵を返す。「ああ、それと…ちゃんとガチンコできるじゃねーの。 もふもふっ子は撤回なー」後ろ手に手を振り、振り向かずに走り出した。白馬の騎士様に拾ってもらう為に。戦争は終わった。後は他の兵が上手くやってくれるだろう。今はとにかく、帰りたい。
――真っ赤な血が噴水の様に上がるかと思えば。味方がブン投げた剣が鎌を弾き、それを阻止する。…そんな過程を、"オレ"は寝転がったまま見ていた。興ざめした精霊の顔も、そこにいる傭兵のわざとらしい笑みも。(…何にしたって、もう潮時か)回復しきってない身体を起こし、立ち上がり。倒れた主に語りかける精霊に、手を振りつつ歩み寄る。やがて精霊もオレに気付いたらしく、声を掛けてきた。『マフ、悪ぃ。ケーシィ泣かせちまったから、フォロー頼むわ』「あいよ。だらしねぇ主をフォローすんのも、契約の内だしな」得物を仕舞った精霊は、それだけを言って背を向けた。
『ああ、それと…ちゃんとガチンコできるじゃねーの。 もふもふっ子は撤回なー』付け足されたその言葉は、主の耳には届かないだろう。極度の興奮状態プラス、大量出血ときたら、気絶しても仕方ない。ケーシィの側にしゃがみ込むと、直ぐに応急処置用の治療術を施した。「シーファ」視線は下のまま、遠ざかっていく精霊の名を呼ぶ。フードを深々と被り直し、治療の手を進めたまま。「気に食わねぇが認めてやるよ。…コイツはオレの相棒だ」相棒の前じゃ、絶対に言わない言葉を呟いた。それから、誰にも聞こえないような声で、「オレも堕ちたモンだな」と付け足した。
「退け、ルドラムの戦士よ! 陣は崩れた。間も無くここは帝国の後続隊で溢れかえるぞ!」友軍の敵陣突破の一報を受け、再び戦場を駆けるソラン。向かってくる者以外に対しては戦意はない。散々敵を討っておきながら言うのもアレだが、これ以上の犠牲は両者にとって必要ない。やがて、戦いを終えたシーファを見つけ、愛馬を寄せた。不機嫌そうな表情ではあったが、生きている事に安堵した。
「派手にやったな・・・動くと傷口が開く。後ろに乗るといい」そうして、精霊に手を差し伸べる。無茶をするな、と言いたかったが、この状況で再出撃した自分がいる為、何も言えずにいた。どうやら戦っていた相手も生きているようだ。遠目にそれを確認する。近くには先ほど剣を交えた相手もいる。彼女もまた、戦いに生きる者なのだろうか。見えたかどうかはわからないが、その場で剣を抜き、二人に向かい剣礼をした。次は戦場以外で会いたいものだな・・・。礼をした後、愛馬を友軍方面へと向けた。
術師様が微笑みながらローブを手渡してくれる。普通では考えられない薄着でいた私を心配してくださったのだろうか?いや、それもあるだろうが…、そろそろ事に掛かるらしい。船員達の動きも慌しく、必要になる船まで準備がされていた。「ありがとうございます…。」微笑を返しながら、ローブを受け取る。…私も、付いていかなくてはならないのだろうか?いや、ここまで来たら当然のことであろう。僅かな温もりを与えてくれるローブを纏いながら、覚悟を決めた。戦況はどうなっているのだろうか?このような状況では情報を得ることは難しい。どのような状況にしろ戻ったら、急いで救護の役目にまわらなくては…。
近づいてきた彼の漁師が言った。「お友達…、本当に変わってるね。いろいろワケアリなんだろ…?あんたはいいのかい?」…と。私にはあまり関係ないことだと思った。今はただ、自身の担った役目を全うする。それだけだと思う。いよいよ始まるみたいだ…。私は、それを伝えるためゼレナリュシュさんの元へ走っていった。
走る背にかかるマフの声。『気に食わねぇが認めてやるよ。…コイツはオレの相棒だ』足を止め振り返る。でもそれは一瞬で。に、と笑ってすぐに走り出した。いくらも走らない内に、白馬が目に入る。確か、名はヒューイ。『派手にやったな・・・動くと傷口が開く。後ろに乗るといい』「ん、ありがと」傷ついていない方の手を伸ばし、素直に青髪の騎士の後ろに乗る。「……すまねぇな…」少しだけトーンを落とし、騎士に謝った。それから軍に戻るまで、精霊は無言で馬に揺られていた。
真横であがった頓狂な声に煽られて更に慌てが酷くなる。最早、年上の威厳などあったものではない。おたおたと少年に向き直り、無意味に謝り続けた。「ご、御免なさい! 大丈夫ですっ。 ああ、あの楊俊さんはちっとも悪くありませんのよ!」挙句、先の兵士に分かったから二人とも落ち着いたらどうだと宥められてしまった。恥ずかしいやら情けないやらで脱力する。縮こまりつつ、妙に明るい声のトーンに応じた。「まったくですわ…月光の里にあるユタンポとやらが欲しいところで…あら? 何か…聞こえませんか?」私たちの背後から、雪崩に似た響きの。馬の蹄底が大地を蹴立てる音が、風に乗って微かに聞こえる。
その音は兵士等の思わずといった話し声にも掻き消される事が無かった。距離を詰められるごとに大きさを増す。仲間の言葉を拾うに、此方を目指して数騎の早馬が一直線に駆けて来ているらしいが。「何でしょうね。伝令のよう…ですが。 この山を登る必要が無くなった、って仰ってくれないかしら。 楊俊さん…どんな風に見えまして?」険しい山を進む前で良かったのか。不真面目な台詞をぼやき混じりに呟く。急遽伝令を必要とする事態となれば、自軍の劣勢かそれとも敗戦、或いは勝利の知らせだろうか。どちらにせよ溜息が洩れる連絡になりそうだった。
船内がにわかに慌ただしくなる。そのお陰で知れた。目的の海域は、もうすぐ其所なのだと。何の疑いも抱いていないかのような微笑みを浮かべ、手渡されたローブを身に纏う彼女。人が良いですわね。優しさの裏には何か在ると思うべきなのに。まして、相手が権謀術数に長けた悪魔であるからには。事実、我は薄着の彼女を気遣うなど、小指の先程も意図していない。再び走り寄ってきた魔導人形に告げる。「リリティア様、忘れ物。コレをきちんと身体に巻いておかないと、引き揚げられませんわ」鉛塊を埋め込んだローブ故、きっと深くまで沈むでしょう。そう付け足し、太めに編まれた縄を差し出した。
「む…あれは」女性の言葉に、振り返って目を凝らすと。しきりに帝国の旗を振って何やら訴えているのが見える。遠目に見ても、はっきりとわかるその様子は。間違いない、帝国は勝利したようだ。「春は、思いのほか早くやってきたようですね」安堵で気が軽くなったせいか、そんな言葉を出す余裕が戻ってきた。「助かりましたね、正直ぼくも、山越えは遠慮したいと思っていところですので」ふふ、と軽く笑ってみせる。「しかし、本当の意味で…」この大陸に、春がやってくるのは何時になるのでしょうね。周りの兵士たちの手前、最後の言葉は飲み込んだが。彼女には、きっと、伝わったに違いない。
ロープを身体に…?最初、彼女が言っている意味が判らなかった。いや…、目的の海域は荒れ狂う海。命綱を付けていないと危険と判断したのかもしれない。しかし、その考えがすぐに間違いだったことに気がつく。鉛塊…、深く沈む…、付け足されたその言葉で…。確かに私は氷の魔法使い…、氷など寒さには耐性がある。今回の目的達成のためには普通の方法よりそちらの方が確実なのかもしれない。ちらっと彼女の方を見ると、じっと私のことを見つめている。やるしかない…。船内から先の漁師が合図を送ると、数隻の中型船が船から出される。それと同時に氷の魔法を唱えながら…、私も北の海へと飛び出す。
この海域に目的のブツが、果たして在るかどうか。詰まる所、我の関心はソレ一点のみ。如何に海上が荒れていたとて、潮の流れは比較的穏やか。海とは概してそういうものだと認識している。魔導人形の彼女ならば凍える事も無いと踏んでの提案だった。当然、素直に受け入れて貰えるとは思っていない。思っていないからこそ、幾つか保険を用意していたのだが。あらあら。余りにも予想外ですわ。黙したまま飛び込むその姿に、不覚にも目を見開いてしまう。ま、こちらとしては好都合だから別に構わな………む?
右腕に寄生させた触手を伸ばし、今まさに着水せんとする彼女のローブの襟首を掴む。そしてそのまま、再び船上へ曳き戻した。気付いてしまった。嗚呼、気付いてしまったのだ。夜空の黒がその色を、既に変じ始めていたのだと。タイムリミットは夜明けまで。過ぎれば色々とリスクが発生する。例えば、敵や味方の軍船に発見されるといったような。「残念ながら時間切れのようです。今夜はお終いにしましょう?」続きはまたいずれと告げながらも、不機嫌に東の空を睨む。なんて不本意。不本意だが、やむを得ない。もう暫く寝ていれば良いものを。これだから陽の光は嫌いですわ。