静かに閉じ行く世界。それでもこの大陸は、戦に満ちている。やり残した事はないだろうか?戦ってみたかった者は居ないだろうか?伝えたかった事はないだろうか?最後の戦い。誰もが悔いなき時を過ごせるよう――
・他者の行動・行為を著しく制限、または指定する描写。・単騎で戦局に多大な影響を与える描写。・俗に言う無敵と思われる行為、行動や描写。・世界観が大幅に無視されている描写。・その他、不躾であったり、不快に思わせる行動や描写。・応対に時間が掛かる場合は何らかの手段で連絡を上記は注意事項です。投稿する前に今一度お確かめ下さい。相手が居るという事、お忘れなきように行動を。
◎大陸地図http://www.geocities.jp/kichi_k/LG_map/top.html(大判/作成:クロゼット様)http://lgtisiki.blog89.fc2.com/blog-category-8.html(携帯用/作成:コルナ・コルチェット様)御二方に感謝を。◎記録保管所http://lgcabinet.web.fc2.com/大聖堂(主に外交の間)の記録保管所です。
総合で戦場を立てさせていただきました。こちらでは陣営や実際の対戦国などの制限なく、戦場の描写を行う事が出来ます。残り約2ヶ月なので、戦争を起こさないで終わりを迎えてしまう国もあるかもしれません。多少の矛盾は割愛しても良いかと思います(個人的にはちょっとこじつけして頂けると嬉しいですが)勿論、既存の戦場のように、陣営ごと、実際の対戦国との戦場としてお使いいただいても大丈夫です。最後ですので、戦いたい人、戦いたい場所での戦いをお楽しみ頂ければと思います。
スレッドの記録の期限は8/30までとさせていただきます。31日ギリギリまでいられれば記録を取りますが、保障は出来ませんのでご了承下さい。(不測の自体に備え、出来れば他にも記録を取れる方がいましたら、記録保管所の管理人までご連絡頂ければ幸いです)
空を翼人の編隊が雁行陣で飛び去り、地上では"羽無し"の部隊が隊伍を組んで進む。「埋め尽くす、とは行かないものだな」兵士たちの数は多いとは言えない。如何に少数民族に属する翼騎兵とはいえ、この光景は永く続いた戦の傷を見せ付けていた。徴募事務所は直ぐに見つかった。街行く人々も疎らな中、ここにはある程度の人が居たからだ。先客たちが軍に売り込みをしている。*:「特技は天魔爆炎とありますが?」*:「運が良かったな、魔力が足りないようだ」……人材不足は深刻らしい。程なく自分の番が来る。「特技と呼べるものは差程無し、歩兵隊の一つもくれれば猫の手よりは役に立ってみせるが、如何かな?」
帝国の宣戦布告の報せが届いた。相手は……解放軍。思わず笑みがこぼれる。ああ、これで思いっきり『彼女』と戦える。あの時と同じ、自分が帝国で、彼女が解放軍で。違うことといえば、目の前を走っていた大きな背中が居ない事ぐらいか。彼女は覚えているだろうか。あの時の場所。戦いの地で初めて会ってしまった、あの場所を。あの時はその覚悟がなかったけれど、今なら。「ならば行こう、かな」精霊は南の方角を見つめ、呟いた。
「……酷いものだな」開戦から一日。天翼の薄い前線は各所で獣の群れに食い破られていた。勿論機動力を以って成る翼人兵団は突破してきた敵の背後に回り来んで迎撃をしているが、足りない。獣の足が止まらない。静かに、そして致命的に。その足は天翼軍第二防衛線ーー傭兵や徴募兵で編成された二流部隊へ迫ってきていた。ちら、と傍の上官たちを見やれば、血気盛んな中隊長と顔の青褪めた副官。士官の彼らだけがバードマンで、残りは雑多な"羽無し"なのがこの中隊だ。
『下等な獣どもめ!我が翼で叩き潰してくれよう』『数も勢いも違い過ぎます!先ずは引いて友軍と合流を……』『このキョシヌケがぁ!』(……時間を稼ぐ必要があるか)新米士官らが判断を下せる時間が必要だった。このままでは中隊丸ごと討ち死にだ。「中隊長、私の小隊が斥候に出ましょう。相手は無知な獣、突くべき脇腹がある筈です」許可は直ぐに降りた。威勢の良い口をしていても、内心は不安なのだろう。無知で下等な獣。一度でもビーストアークと戦った者なら絶対にそんな感想は抱くまい。同道する兵らには気の毒だが、友軍が態勢を整えるまでの時間稼ぎに付き合ってもらわねば。勿論、それは迫り来る敵軍にも。
直に終焉を迎える地であっても、それすら無視するように届いた宣戦布告の報。戦いへと赴ける兵士の数も武器も満足に揃っていない自軍の状況は、陣営地に足を踏み入れてすぐに見て取れた。募兵の声が響き、何処からか流れてきたのであろう武器商人達が軒を連ねてはいるが、思う程の兵も集客も見込めていないようだった。それでも「此処」には今日まで生き延び、この先も生き抜こうとする「活気」が満ちている。
「…参りましょうか」ともすれば、引き返そうとする足を前へ動かして。武器を奮う事は出来ないけれど、攻撃に適した術もそう多くは持っていないけれど。自分に出来る事をする為に。天使は兵士志願者の列に加わっていった。
騒がしい。空を伺えば翼を持った見慣れた兵が翔る。地を見れば武器を持ち、山に不慣れな兵が行く。己もきっと、あの歩を進める者達の中に、紛れていたかもしれない。遠く先のことで、終わる事がないと思っていた物語。だが、気付いていた事。傷跡ばかりを気にして、人を嫌い、世を疑い、探り合う。混沌の世界。その歴史の終末。喧騒が近い。…最後の言葉は…何とする。応えなどなくとも、先が見えずとも在るべき場所は其処にある。『出掛けて来る』書置きだけを広間の椅子に置く。
「開戦……ですか?」眼鏡に白衣。ともすれば女医と紛う出で立ちで。カルテを手に、椅子に腰掛けながら。悪魔はそう問い返した。そう────開戦である。なんと耳に馴染んだ言葉であろう。此処、ロストグラウンドにおいて、幾度ソレを聞いたことか。既に世界は、その時を止めつつある。5000の歳を数えるこの身なれば、さして珍しい話でもない。けれど、例えば世が終末に突き進むとも。戦乱にて、今一度、大陸へ覇を唱えんと。そう没念する国王皆々の姿こそは、いっそ清々しくも思われる。
何より、この終りこそ、ロストグラウンドらしいではないか。敵国はアクアマイト。これよりは夏。暑に悩む日々が待ち受ける。極北の地、ナイトメアにあっても、その事実は変わりない。麗しくも無邪気な御陛下にあらせられましては、ヴァカンスを海にて過ごされようとの、お心積もりであろうか。されど、御陛下が攻めると仰せになられたのであれば。如何な理由があろうとて、かの意を全うしてこそ、悪夢の兵。そして、今。紛れもなく、我は悪夢の兵である。「承りました。では、次の方。本日はどうなさいましたか?」
――ドラバニア帝国、と。「運命」そんな単語が、自然と浮かんだ。雷帝ヴァリゾア。それは、貴方も同じなのでは?――ランプが一つだけ灯った自室。頬杖をついて、日記を捲る。――3年。3年も前のことだった。『彼女』と戦場で出会ったのは。それでも鮮明に甦る。熱砂。乾いた風。骨兜の彼。彼女の青緑の瞳。圧倒的力量差。敗北。――最近、『彼女』はボクの元へやってきた。告げられた言葉。(――今度こそ、託そうと思って)ボクを見据える、あの美しい青緑の瞳。――日記を閉じる。ジジ、とランプが音を立てた。待っていたよ。「――シーファ」
ビレンツ。解放軍ではもう顔なじみの、口の悪い兵士…いや、今は隊長か。彼の隊に加わり、中立拠点トルスタン城を目指す。荷馬車に荷物を積みながら、話しかける。「ね、マロロあたりで戦うの、駄目かな」『はぁ!?ルドラム領だろそこは』「やはり駄目かな」『他国領だからな。急いで通り抜けるぐらいが許容範囲だな』「そう…」『彼女』とまた戦うのなら、あの時と同じマロロの西で出会うのだと思っていた。「わかった」とりあえず、合意した。気は進まないが、仕方ない。『おっし、荷物いいな!出発!』「隊長殿」の号令と共に、30人ほどの隊の進軍が始まる。北へ。風が、熱い。
「え…?歩兵部隊…ですか?」募兵の係官の口から「配属」先が告げられた瞬間、天使は耳を疑った。攻撃の術らしいものは殆ど持たない自分に、何が出来ると思ったのか。「あの……私では御役に立てないかと思うのですが…」「…特技の欄にある結界術。使い方次第で何とかなりそうだからな。とにかく、人が足りんのだ。特技を活かしてもらわねば困る」余程募兵に手こずっているのだろう。来る者全てを前線に送ったところで足りない事は、受付の周囲を見回しても見て取れた。既に「正規軍」と定められた歩兵部隊も出立しているとも聞く。
”アナタなら……迷わず行くのでしょうね”一人、自らを鍛え直す為に修行へと旅立った弟子を思って小さく笑む。成長して戻ってくるであろうたった一人の弟子を再び迎え入れる為にも尻込み等している訳にはいかないだろう。「こいつを持って隊に合流してくれ。あんたの認識証だ。死んでもこれであんたの”遺体”の確認は出来る。……簡単に死なれちゃ困るがね」「そのつもりです」自らを奮い立たせるように、天使は笑みを浮かべながら認識証を受け取ると受付から離れていった。
「相手は帝国か・・・。 面白い風の巡り合わせだな。」既に混戦となっている戦場を見つめる騎士。帝国の傭兵募集に申請はしていた。しかし、最終的に今回の雇い主は解放軍であった。フリーの傭兵である以上、この結果に文句は言えない。ただ、戦場を駆けるのみ。命尽きるまで。「傭兵ソラン・シレジア、頃合だ!頼むぞ!」伝令が現れ、兵達に緊張が走る。「承知・・・騎馬隊、前へっ!!」戦場に騎馬突撃の地鳴りが響いた。
――いない。鴉天狗は、城の中を歩き回っていた。彼女の住処であるこの城は、現在戦争中の天駆ける翼騎兵の領地内にある。この城の主、傭兵、宿六の自分共々仕官している月光の民は、今期は開戦しない、という話だった。暇潰しに城主にいたずらでもしようと部屋に行ったが、留守だった。広間の椅子の上の書置きに気付いたのは、方々探し回った後だった。「…出掛けて来る、じゃないよ、もう」城主の部屋には剣がなかったし、鍛練用の部屋には誰もいない。外からは兵の羽音に足音。この状況、こういう形で城主が出掛けるとしたら――
城主は自分の双子の姉に似ていると思っていたが、何も言わず出ていくところまで似ているとは。武人、だから?かくして書置きは一枚増えた。『私も行ってきます』好戦的な一族の出ではあるが、戦が好きかと言われればそんなこともなく。使える術式も、治癒や光、防御結界のものばかり強化してきた。炎や爆発の術式も得意ではあるのだが。何がどうのというよりは、ただ置いていかれるのが嫌だった。
薬や包帯の類い一式を携帯し光の術式で姿を消すと、城の最高部まで舞い上がる。美しい銀の装飾が施されたガラスのような刃のナイフ…形は変えても、自分の血の唯一の証となったそれを掲げて祈る。その姿は誰にも見えない訳だが。「父様、母様…私たちが生きて帰れますよう御守りください」それから、周囲を見渡す。(まだ遠くに行ってないといいけど…っていうかどこに行く気?)とりあえず、天翼の兵が進んでいく方に目を凝らした。(訂正の為再投稿)
護身用に剣を一振り身に着けて。それから背中に荷物を背負って山間の道を進む。高山は寒いし高いし坂だし、少し頭痛もしてくるので苦手かもしれません。故郷の砂漠にも山はそれなりにありましたが、こう、ずっと平地が無いというのはどこが底なのか基準なのか分からず落ち着かないものですね。空や更に高所の部隊への補給は翼人達の仕事。地上への歩兵への補給は、恐らく沢山荷物を運べそうだと思われたのだろう、自分に回ってきたのだった。後方で物資を右から左へ動かしたり、炊き出しで日がな鍋をかき回しているのにも不安で堪らなくなってきた頃だ。調度良くかかった声には、素直に了の返事をしていた。
詰所に着いて、小さな包みを配っていく。開けて中を見た兵達のうんざりした顔が、実際に見なくても予想ができる。「とは言っても、保存の効く携帯食料で…。なかなかこれしか無いようです。」水がないとモッサモサになるんですよねぇ何とも言えない口の中を想像して切なくなる。同じように小難しい顔で黙っていた上官が、あっちへ、と歩兵集団を指さした。「あ、はい」王宮へ持って帰る物の回収だろうか「何か御用ありますかー」大きなトカゲがウロウロ。
この地に流れ着き、初めて戦争に身を投じた時の敵国はルドラムだった。何の皮肉だろうかとも思うが、属する国などそもそも私にはどうでも良かったのだ。かつて闘争のみを求めていた自分が未熟に思え、拠り所を求めた。しかし上手く行かずに逃げ、籠もり。その間も戦火は絶えなかったようだが、見向きもしなかった。そのまま籠もっていても良かったのかもしれない。ただ、何故かふと思うところが有り戦場に身を投じようと思った。かつての未熟なままの自分を払拭したいのか様々な素晴らしいものを見せてくれた世界に何かを返したいのか内の整理は付かぬまま、以前使用していた龍革の手袋と黒装束を身に付け家を出た。
認識証を手に合流した歩兵部隊はありがちの「寄せ集め集団」。疾うに出立した「正規軍」に使える兵士は全て組み込んでいるのだろう。恐らく、ここに集められた者の殆どは自分と同じように物資の調達・運搬や野戦病院配属と言ったような「後方支援」を担当していたのではないだろうか、と天使は思った。隊長・副隊長と思しき男達の何とも言えぬ不安気な面持ちも、それを裏付ける一つでもあるが。「何だ、天使族の神父まで駆り出されたのか。神様の所まで無事にご案内、なんてのは御免だぞ?」副隊長だと名乗った男は天使の職を聞くなり、そんな言葉を発すると冴えない顔で笑う。
あまり質の良くない冗談だが言いたくなる気持ちも理解出来なくはないと天使も曖昧な顔で笑ってみせた。「直に出立する。準備だけは怠らずに頼むぞ」少ないながらも集まり始めた「新兵」達にそう言い放つと副隊長は僅かながらの支給品をそれぞれに手渡しながらその場を後にする。その場に残された者達はそれぞれに持ち込んだリュックや肩掛けのバッグにそれらを詰め込み、手にした武器や着込んだ防具のチェックをしたり、暫くの間「戦友」となる者達の人相を頭に叩き込もうと不安気な目で周囲を見回したりと、些か落ち着かぬ様子で僅かな時間を昇華していく事にしたようだった。
帝国相手の戦闘となれば向かうのは北。出来る事なら修道服のまま向いたいところだが、丈の長さを考えれば動きが制約され、足手まといにもなりかねない。「少々の寒さは致し方ありませんね」出立を告げる声が響く中、着慣れた修道服を脱ぎ捨てると。支給品の中に詰め込まれていた胸当てや篭手を身に付け、組まれ始めた隊列に加わっていった。
開戦か…と、溜め息混じりに男は呟いたルドラムに、仕官をした事は記憶の限り無い…避けていたのだ…ある理由の為にしかし、何の運命か…世界の終焉も近いこの戦で…舞い込んだ仕官書はルドラムだった「…尤も…今となっては、避けたその理由も…」意味の無い事かもしれないが…ね約束をした訳でも、決められていた訳でもないただただ、自分のけじめの為だけに「ふふ…其れを知ったら、笑うだろうか」未練も迷いも…持たぬと決めた筈だったのにそれでも昔を思うのは、まだまだ未熟者の証か「だが、それが俺だから、な」小さく笑って、剣を手に相手はエルフの国…男はゆっくりと、歩み出した
ドラバニア帝国の王宮を眺め、国王陛下の居るであろう王室の場所を眺めて、つぶやく。「ゼオノクス様、最後の最後で、ここに仕えられて、本当に良かった。有難う」深く頭を垂れた。そして、先行している軍に追いつくべく、飛び立つ。合流するのはいつものように偵察隊。人探しも兼ねている為、偵察隊は都合がよかった。精霊が降り立った時には、進軍のルート相談などをしている所で。ふと脇から覗き込んだ精霊は、素っ頓狂な声を出した。「あれっ、マロロ洞窟ってルドラム領だったっけ?」お前は何を言っているんだという視線が数人分、精霊の身に突き刺さる。
「えっ」必死に三年前の記憶を呼び覚ます。しばらくして、やっと思い出した。「ああそっか、あの時はルドラムに勝った後、だったんだ」三年前との違いがもう一つ。今はルドラムも戦時下にある為、そこで戦うのは好ましいとは言えない。『彼女』もきっと、そう考えるだろう。「まあ…前と同じ状況を作りたい訳じゃないからな」言い訳のように言い、地図をもう一度確認する。トルスタン城。解放軍のみならず、南の国との戦争の時は必ず、攻撃や防御の要になっていた場所。「やっぱりここか…な」『彼女』がやってくるとすれば、多分ここ。羽ペンで印を付けた場所。そこに向けて、偵察隊と共に飛び立つ。
…波の音静かに繰り返す浜辺に佇む溶けていく白波に、耳を傾けながら襤褸布に覆われたその奥に、ひとの形をした姿は無くただ、火のような暗い暗い影が潜んでいる「フフ…」低い声がわらう暗い火が爆ぜて、勢いを増す悦楽に浸るように、空っぽの身体を捩らせた…ふわりと浮かび上がる砂を舞い上げてゆっくりと消えていく求める場所へと、思うままに
首都ビレンツから北方に位置する帝国に向かうには幾つかのルートが考えられる。一つは隣国ルドラム獣人連合を縦断し中立拠点のトルスタン城へ向かう定石ルートだが、ルドラムも現在は戦時下にある上、砂漠越えをする必要があった。進軍に慣れた兵士でも寒暖差の激しい砂漠越えは至難の技。慣れぬ者にとっては死に直結するルートだ。次に考えられるのは海からの進軍だが、長距離の航行に必要な人員を割けない現実がある。とすれば、陸路を中立拠点・ファディア城を経由して湾岸に沿って水路を取り、ダビック中継地を抜けて上陸、状況次第では中継地手前で上陸する手もある。そう言った判断からか、隊はまずファディア城へ向かった。
身につけている防具も不揃いで武器もそれぞれ。剣を携えている者、木を削って作ったような棍棒や杖を手にしている者、銃を腰に携えている者と様々だ。斯く言う天使も腰に細身の剣を携えてはいるが、支給されたものの一つであって自身の愛用武器と言う訳ではなかった。恐らく、彼がそれを抜く事はないだろう。単純に、戦地へ赴く者としての体裁の為に携帯しているに過ぎないのだから。小さな新興宗教に属し、そこは所謂「武闘派」で、修行時には兵士並みの訓練が天使にも課せられたが、剣術はおろか護身の為の体術さえろくに覚えられなかった。おまけに。術を使う為の法力は有していたが、攻撃系の術は殆ど使い物にならない。
火の術は暖を取ったり湯を沸かしたりする為の焚き火に着火させるのがやっと。水の術は飲み水程度の量を吹き出させるだけでいっぱいいっぱい。雷の術に至っては光と音が派手なだけの目くらまし程度と来ている。自由に操れるのは師から教えられた結界術と治癒術だけ。術にも体術にも長けたかつての師からも「攻撃に関しては才能自体が皆無」と言う太鼓判さえ押されている。そんな自分が今、隊列を組んで進軍している。それがとても奇妙な事に思えた。独りごちに笑みを浮かべるその足は。着実に北へ向かっていた。
再びこの大陸に戻って来る事になるとは思わなかった。戦争で家族を失って逃げるように遠くの大陸に旅立った。過去を清算する為に帰国して、俺は失われた大陸でかけがえの無い友人を得た。その友人達も次々と旅立ち、俺は再び独りになった。戦場を渡り歩いて探し続けていた妻の形見は見つかった。30年以上も生死が分からなかった兄と弟に再会する事も出来た。俺にはもう何も未練は無い。やるべき事は全て終った。それでも尚、生かされているには何か理由があるのだろうか。ソレを探して海の向こうを旅してきたが何も手掛かりを得る事は出来ず。この大陸に戻る旅の最中に世界の終わりを知った。
出迎えてくれる友人が居る訳でもなく会いたい人が居るわけでも無い。それならせめて、お世話になったサフロン殿に挨拶でもしておこうと数年ぶりに天翼病院へ足を運んだ時だった。旅で足腰を鍛えて来たとは言え、久しく歩んでいないアンプルマ山脈の洗礼は厳しく病院に辿りついた時には暑さでどうにかなりそうだった。だから、その時は有り得ない夢でも見ているのだろうと思ったんだ。だって、君がこの大陸に居る訳が無いじゃないか。君は彼女達と旅立ったんだから。蜃気楼が現実と確かめる暇も無く「人手不足なんだからサボるな」と有翼人に誤解をされて奇しくも天翼兵となった不幸を俺は喜ぶべきなのだろうか。
「恋文を書く訳じゃないんだけどなぁ…」投げ出されたペン先が紙面と向き合う。軍隊と言えど休息の時間は訪れる。休息を挟まず侵攻した所で自滅するのが関の山だ。だから…少しだけ。戦場が短い休息に入った時に俺の我侭に付き合って欲しい。内容は簡潔に場所と時間と話をしたいという用件だけ。それ以上の言葉は思いつかなかった。名を書く事も辞めた。君が不審な手紙だと破り捨ててゆっくりと休息を取れるように。彼の所属する部隊の人間に手紙を預け、手紙の行く末を祈る。あの手紙が彼の元に無事に「届きませんように」と。不幸の神様はいつだって俺を見ているから。
ルドラム領に入った。オアシスの近くでテントを張り、夜を過ごす。昼間の暑さに参ったのか、よく眠っている兵士達のいびきやら寝息やらが聞こえる。もしくは、寝付けずに何度も寝苦しそうに寝返りをうつ者のうめき声。そんな仲間達の様子を横目に見ながら、少し笑って、見張りを続ける。砂漠の夜は冷える。「…っくしょん!」鼻をすすりながら、毛布を被り直す。星が綺麗だ。トルスタン城はあとどれくらいだろう。『彼女』は、今どんな気持ちなのだろう。ボクは、戦えるだろうか。『彼女』に、相応しく。
(――と、いけないいけない)夜は、なんだか感傷的になる。いつの間にか、ぐるぐると考え事の渦の中に入ってしまう。『旅人、そろそろ交代のヤツ向かうから。寝ろ』気がついたら、傍には若き隊長。礼を言い、テントに戻る。毛布を深く被り、目を閉じた。きっと、トルスタン城はもうすぐ。不安と。期待と。血が滾るような興奮。それらを抱き締めたまま、眠りに落ちた。
自国領内平地での移動とあってか、ファディア城までの道程は何事もなく辿り着く事が出来た。これまでも戦況によっては中継地点として補給物資を運び込んだrり、従軍の医師や看護師として隣国に近いファディア城に詰めた者が隊の中に多かったからだろう。翌朝にはダビック中継地に向けて出発する為の小型船が城前の入江に用意される。一晩をファディア城で過ごす事となった隊は、翌日の船での進軍に向けて早々に床についた。城内とは言え、戦時下に個別に部屋を与えられる余裕もなく、平時は会議等で使われていると言う大部屋での雑魚寝。疲労も手伝って誰もが床についてすぐに寝息や微かな鼾を立てる。
天使も与えられた寝床で休もうと横になるが、瞼はそう簡単に落ちて来てくれそうになかった。(柄にもなく、気が昂ぶっているのでしょうか…?)周囲で休む戦友達の眠りを妨げないように静かに起き上がり、聖書を手に部屋を出て扉前の窓辺に向かう。待合の為だろうか、そこに置かれた椅子に腰掛けて外に目を向けた。月明かりの中、幾筋か雲が流れ、星が見え隠れする様を眺め。(怒るでしょうか……あの子は…)弟子の面影を月に映して思う。仕える国を違えた事でいつか唯一の弟子と戦わなくてはならない不安が払拭された「今」を少なからず喜んでいる自分を。(まだまだ……修行が足りませんね、私も)
夜が明ければ出立。戦時下の隣国へ足を踏み入れる事になる。自らの「甘え」を戒める為の時間は残り少ない。視線を手元に移し、天使は静かに聖書を開いた。
「ここはどこでしょう…?」解放軍領地北端に位置するとある海岸。そこに、大きな帽子を被り黒いローブに身を包んだ少女が一人、呆然と立ち尽くしていた。旅から戻った彼女の巡り付いた場所は解放軍。まもなく届いた宣戦布告の報せ。師である傭兵ソラン・シレジアが、解放軍騎馬隊として参戦することを兵達の噂話で耳にした。かつて帝国で共に戦った師と、今度はその祖国を相手にする。なかなか面白い巡り会わせだ。彼の騎馬隊の後方支援として志願し、愛用の箒で宙を舞い、意気揚々と進軍してきたのだが…。「あれ…?師匠の騎馬隊…、どこにいっちゃったんでしょう…?」
彼女の周りに先ほどまで共に進軍してきた解放軍の姿はない。見渡す限りの海…、海岸…。その場所には人の気配すらしてこない。「もしかして…、迷子…?」こ、困りましたね…、こんなことをしていたら隊長に怒られてしまいますよ…。なんとか合流しなくては…。帽子を被りなおし、風の吹いてくる方角を見据えた。「えと…、帝国に向かったのですから…、とりあえず、北に向かえば合流できますよね…。北…、北…。」少女は誰に言うでもなく呟くと、手にしていた箒に跨りそのまま空の中へと消えていった。
小石や土が邪魔をしてくるが慣れた手付きで枝を、草を、往なして山を下る。途中。南に下った先、海上より直ぐに切立つ山、抉られた、その崖の上から見える悉く打ち寄せる白波。誰も海からなど上がってこれない、天然の要塞。その1つの切っ先から見えるクレマス城の方角、大きな雲が印象的だった。何処までも続く青い海と空、ナイトメアへと向う軍艦の影だけが異質。記憶に残したかった景色を惜しんでいるが、表情は変わらない。黒い剣と黒い盾を背に預け、海沿いの道を行く。「旅か…。」旅人だと言って国境を抜けられるのならば共に行く、違う方法もあったと思いながら、洩らす。戦闘狂が柄にもなく。
入り江の先、海を隔てた近い国、森のエルフの郷が見えた。醜く争う心とは違い、依然整然と美しい。視線を緑の大地から東、獣の巣窟へと向ける。「…。」戦に紛れれば、挑める相手は多く居た世界。だが、巡り合わせがないならば、それはそれ。死に損ないは、まだ居るだろうか。このまま戦わなければ、彼女は安心するだろうか。このまま此の大地を巡り戦場を目に焼き付けるだけでも、価値はあるだろうか。戦の際中に、これ程思考を巡らせたことなどなかった。「私は…生きたいのか…。」手合わせした戦士達の顔を浮かべる。「豊かな…表…情…。」剣のグリップを確かめ、歩を進める。ただ東へと
とりあえず、天翼の飛行隊についてきた。城主が逆方向…天翼本陣に向かうとは考えにくい。あの洞窟は…初陣で来る筈が城で襲われて来られなくなったり、闇エルフの友達と二人でナイトメア兵と鉢合わせたり、双子の姉と戦の為待ち合わせたり…思い返すと、わりと思い出深い場所かもしれない。…確か洞窟近辺にセロリの種が大量にぶちまけられたことがある筈だが、芽吹いたりしたのだろうか。城主の移動手段は自分の足の筈だから、洞窟の中にいることも考えられなくはないが…あの暗い洞窟の中、獣が攻めてくる恐れがあるのに入る者はいないか。…あの人は暗闇は得意そうだが、何にせよそこにはいないだろうと踏んだ。
トルスタン城が視界の先に見えてきたのは、もう日が開けようかという時だった。 明るくなっていく景色の中、精霊の眼下に入ったものは。「うわー、もう始まってるし」自軍と相手の国との激突だった。「こう、一杯兵がいると、探し人も見つけられないなあ」ふと。探し人は誰なのかと、他の偵察兵に訊ねられる。「ん? ん…」精霊は急な質問に、少しだけ考えて。「解放軍の子だよ。だから敵……ってことになる。 でも、俺の大事なひと。 そーゆー訳だから、取るなよ?」何かを誤解したのか、顔をしかめた偵察兵に、精霊はにっと笑った。「彼女は俺の獲物だ」そう言っておけば、手出しはしまい。
(どっちかというと俺が彼女の獲物、の方がしっくりくるかもなあ)精霊は心の中だけで呟き、他の偵察兵と同じように自軍や相手国の進軍を避けて、前方の状況を探りにいく。しばらくして、精霊はそっと隊から離れると、まだ戦火の届いていない、小高い丘に降り立った。自らの羽を数枚引き抜き、口付ける。精霊の羽が、精霊の瞳の色のような青緑の光を淡く放った。指を広げ、羽を風にのせる。「俺を見付けて。――マーシェ」羽は、意思を持つかのように、南の……ルドラム領に向けて舞っていった。
ナビア城から神都コブムの方へとやって来た途中、兵のぶつかる場面は見たが…まだ大きな争いとは言い難い…いや、嘗てならば激しい戦火の只中なのかも知れないが「昔の様な手練れは…そうそう、居ないのかね」誰にでもなく、そう呟いて戦わなくて済むのなら、まぁ其れもまた運命かもしれないが傭兵だった、戦士だった…血が、騒ぐ最後かもしれない戦なら、尚の事…戦いたいゆっくり、また歩んで行くエルフの国は、もうすぐ近く
中途半端に小高い丘の上そこに佇み、遠くを見る此度、我らが国が選びしは『非戦』戦に倦み疲れたか、漁夫の利を狙う虎視眈々か大規模な派兵は今のところ控えるらしい……今のところはとはいえ、兵士が全く暇な訳でなし偵察や、場合によっては戦に介入し状況を有利に導く事もまた任務丘の上から遠くに見える土煙あれは何処の軍隊か弓に霊矢をつがえ、先頭を往く者を狙う我が能力を用いれば、此処からの狙撃も不可能ではない…が、やめた今はまだそうする時ではないだろうそこに使役する三本足の白鴉が帰ってきた式神の持ち帰った情報を読み取って次の行動を起こすべく、その丘を後にする
荒れ果てた大地に一人。激戦地になりそうな場所なのに一人。人っ子一人、ケルベロスっ子一匹いやしない。…ん?デジャヴ?違う。前にもやった。いつかのビーストアーク配属時。一人で散々迷子になっているうちに戦が終わったことがあった。迷う間戦地など一度もかすりもしなかった。もはや奇跡である。それにしても、あれだけいた天翼兵達とどうしてはぐれられるのだ。空に視界を遮るものなどないというのに。愕然とした表情で立ち尽くす鴉天狗が、じんわりと姿を表す。誰の姿も見えないならば、天翼兵と間違えられて攻撃される恐れもないから、ではなく、自分の迷子の才能に呆れ果てて術に集中出来なくなっただけの話。
『終焉の宴よのぅ…』大トカゲ、いや自称ペットの竜がひとり気分を出している様子にうんざりと背を向け、手元の書類を眺める「天翼の城内に用事があったんだがな…」転属届は間に合わなかったのか、却下されたのかまあ、入るだけならどうとでもなる昔作った裏口はどうせまだ塞がれてないだろうあれはあれで羽無し組には便利な勝手口だ書類を丸めると荷物に入れ、支度を整えるまずは解放軍に寄って馬をもらおう多くの国から人が集まるあの国には同じく多くの馬が集まるどんな馬がいるだろう!しかし竜が行く手を素早く遮るのだった『また我に騎乗せぬ気だな! 懲りぬやつ!』
「……俺はな、馬が好きなんだ。別に竜が嫌いな訳じゃない」お前は嫌いだが『何故じゃ…竜騎士といえば武人の誉れ、戦士の憧れではないか…』「俺は武人じゃないからなあ…」戦のたびにこの問答をしてきた当初は断固として振り切ったが面倒臭いことこの上ない今回もしばらくやりあって、仕方なくまたこの竜の背に上る「飛ぶなよ」『竜に空を飛ぶなと命じるのは主ぐらいよの』――「人間」は空を飛ばない以前ならそう答えていた今はどうでもいい「……ああ、どうでもいいか。いいぞ飛んでも」『まあそのうちな…今はまず、落ちる』フフ、と笑って、竜は勢いよく崖へと飛び出した
『ん…』「どうした」竜が空に何かを見つけたように首を巡らせたそのままじっと見送る様に見つめる『先日来ておった鴉天狗の娘じゃ。存外速く飛ぶのう』「ああ…」一緒に空を見上げるが俺には何も見えないということはよほど遠方なのか、何か術の力なのか「どっちへ向かってるんだろうな……また迷ってなければいいが」
腹を押さえ、よろける空っぽの身体から、黒々としたものがぼたぼたと落ちた「…フフ…アァ…」向かってきた相手は、腹を深く一突きすると己を押し倒してきたすっかり怯えきった様子で、狂ったように胸やら腹やらを何度も何度も突いてくるゆったりと、手を伸ばす掴んだ首から、染み込ませてゆく零れ落ちた己の一部も、足元から染み渡るようにじわり、じわりと近付き、侵していく暗い火を、甘い毒を
ぎょっとした顔をすると、己を蹴飛ばし後退りした剣を胸に突き立てたまま歩み寄る頭を掴む今度は離さない逃れられないように…ゆっくりと身を起こし、歩き始める真っ赤な血糊の付いた剣を握りしめ一方の手には、得物の主の、
砂漠を抜けて、一息。 古い建物の屋根に降り立ち、羽根の間に絡んだ砂を払う。 それから、南を見据えた。 公国まであと少し。 僅かな金属音、二双のレイピアが腰元で揺れる。(こんなの振り回すより、鍬で畑を耕してる方が性に合ってるけどね。) 奇しくも交戦国は公国、「ワタシが」始まった国。 何の因果かな…。 ふと気付いた一つの気配。 見ると、…随分懐かしい、片翼の御仁。 ああ、同じルドラムで仕官していたか。 思慮深く考える姿に声をかけるべきか悩む。(もう少し、周辺を警戒しようか…な。) 南を見据え、それから飛翔する。 ワタシの大きな羽根は移動に不利、動くなら夜の内に。
1つの謎。海から続く、引き摺った様な跡。布か何かが砂を撫でているのか。興味が沸き、辿る。はじめは湿っていたが、やがて所々砂や土が焦げているのが点在。かなりの高温が動いているのか。海から上がった熱源体か。火…。昔、アンプルマに居た武の名を持つ火の精霊の顔。…いや…。死臭に近い、黴のような匂いが否定する。違う何か…。血の痕、獣の屍骸、その引き摺られた道の脇に何体も横たわっている。翼人だったであろう、羽と体のようなモノもある。その者の一部なのか、血の色とは違う黒い染みも飛散している。斬り合ったにしては、道が続いている。理由は“その塊”が強者だということ。
遣り方が…惨い…慈悲もない…。己にも同じことを言われた片隅の記憶。“その塊”が作る道の先、北を見れば、空を翼ある者達が舞う。煙と音も近い。あの下には、戦場が展開されているのは想像に易い。不意に岩陰から襲い掛かってきた人獣の戦士。ビーストアークの印を辛うじて視認。巨体の咆哮。黒い剣の斬撃一閃。目を瞑り、ゆっくりと揺れながら呟く。殺戮の代償を知る者ならば…相応しい…が…。喚き散らしている獣を、そのままにして、後を追う。
――困ったなぁ。竜に乗った神官の懸念は、実にあっさりと現実のものとなっていた。どちらに向かえば帰れるかも分からないのでは、城主探しどころではない。更にそれ以前に、「…はぁっ…はぁっ……げほっ…」正規軍の後を術式を保って随分な距離を飛んできたことで、かなり骨が折れた。魔力は幼い頃から大人の法術使いにも負けなかったが、体力や腕力に関してはいつも頭を抱えられていた。昔知り合いの悪魔に「お前はもっと食え」と言われた意味を漸く理解する。疲労に痙攣する翼を畳んで近場の岩陰に移動し、ひとまず呼吸を整える。――鬨の声が風に乗って聞こえた気がした。
武器や物資の運搬を命じられて、ボワ洞窟、それから国境へと向かう隊に混じって歩いて行く。標高が下がってきた所為か、幾分息が楽になった気がする。敵兵は地を行く獣なのだから、自然と歩兵も通りやすい地域を狙って来るだろう。つまりは翼が無い兵士でも活躍できる場所…と差し向けられた隊だが、戦時の荷物を抱えてはそこまでの山道で体力を使い果たしてしまう。そういう訳で、戦の心得もない自分が、前線へと向かう隊に荷物持ちとして組み込まれたのだ。わずか遠く、視認できる範囲で既に戦闘が起こっているのが見える。ひょう、と風の音のような、獣の息のような音が聞こえた気がして、隊に緊張が走った
ぽたり、…ぽたりぼろぼろの刃から、血の滴が流れ落ちる襤褸布は赤黒く染まり、ずっしりと重くなっていた…夏の風が吹き抜ける木々のさざめき、鳥の囀り見上げる鮮やかな青わたのような雲…遠い果てしなく遠い、空の彼方…「…。」低い声で小さく笑うと地面に向かって勢いよく剣を突き立てる悲痛な叫びが、狂騒のなかに掻き消えた…もっと遠くへ…広く、深く暗い…ああ、呼んでいる…ゆったりとした歩調で進んでいく
オアシスを発ち、トルスタン城へ向かう道中。――何かを感じて、弾かれたように、空を仰いだ。視界いっぱいに広がる、からりと乾いた、砂漠の鮮やかすぎる青空。そこからひらりと舞い降りたモノを、手を伸ばして掴む。手のひらを開くと、そこには白い羽根。淡く放つ光は。『彼女』の瞳と同じ、青緑色。――羽根を優しく握りしめ。目を閉じ、ゆっくりと開いた。遠くで、『何立ち止まってんだよー』と仲間が呼んでいる。(…シーファ。今、貴女を、)「見つけに行く」呟いて、歩き出す。
トルスタン城は。変わり果てていた。『ひでぇ…』誰かがそう呟いた。目の前に広がる、修羅の世界。剣の音。怒号。悲鳴。轟音。煙の匂い。隊長はよく通る声で、兵士達を激励している。これが最後の戦いだ、犬死するな、お前達は俺の家族なんだから、とか。耳に入る内容が曖昧なのは、耳より『彼女』を探す目の方が忙しいから。――ふと。小高い丘が目に入った。いる。きっとあそこに。『彼女』が。目的地は定まった。剣を抜き、準備運動のように軽く振り回す。『突撃!』仲間達に混じり、丘に向かって駆け出す。
帝国兵たちを相手にしたり、逃げたりしながら、丘を目指して駆ける。三年前に『彼女』と戦場で出会う前。もし戦場で会ったらボクと戦えるか、と訊いたことがあった。何故。あんなことを聞いたのだろう。――大柄な帝国兵がかかってきた。繰り出される斬撃が、速い。防御で精一杯だ。(たぶん、ボクは――)彼女と戦ってみたかったのだろう。だから。ここでてこずっている場合じゃない。「通しなさい!」吼えて、奇跡的に生まれた相手の一瞬の隙をついて右腿を斬る。あとは、ひたすら走った。丘を駆け上がり。その後姿を見つけた。「シーファ!!!」息を切らしながら、名を呼ぶ。
ファディア城で一夜を明かし、内海を陸地に沿ってダビック中継地へ。船上から見やる陸地のそこかしこで上がる爆音と黒煙、風に運ばれる血と硝煙の香。遠くに聞こえるのは誰かの悲鳴だろうか。何故か、ただじっと上陸地まで船上で過ごす事も出来ず、偵察に向かわせてほしいと自ら申し出て飛び立ったのはほんの半刻前の事。眼下に見える神都コブムの「形だけの静けさ」が別の世界のようにも見えた。(どうか……散り逝く魂の全てが安らかな眠りへと誘われますよう……)羽ばたき、先へと進みながらアンダーウェアの中に忍ばせていた十字架を布越しに握り締めて祈る。
叶う筈のない祈り。戦争で命を落とす者に「安らかな眠り」などある筈もない事は、その身で感じ取れる無念や恐れ、怯えから判りきっていた事だった。以前であれば祈る事しか出来ぬ我が身の不甲斐無さに打ちのめされ、飛び続ける事など出来なかっただろうが、今は。祈る事だけが自分に出来る事の全てではないと「知って」いる。武器は奮えないけれど。攻撃術は相変わらず不得手だけれども。その代わりとなり得るものがある。風に乗り、先へ先へと急ぐ。海上は陸地に比べ比較的穏やかだった。尤も、隊を乗せた船は他国領海に入っているのだから安全な航海を続けていられるのもそう長くはないだろうが。
案の定。単騎で空を行く天使の姿は陸地を行き交うルドラムの兵士に見咎められたようで、幾つもの銃口が空に向かって向けられ、火を放つ。広げた白い羽と相反した色を持つ黒のウェア。快晴の上空で酷く目立つ格好の的。それが今の自分なら。「船がダビックに着くまで……引き付けておく事は可能なようですね」戦時下においては、対戦国でなくとも他国領内を通るのは命がけ。何れ戦わなければならない「国」ならば戦力を殺いでおくに越した事はないのだ。自国の兵ではないと判断されれば、こんな事態も簡単に起こり得た。(トルスタン城は……右手)
腰のベルトに手を伸ばしながら、煙の上がる北へ視線を向ける。手にしたのは腰に下げた細身の剣ではなく、一冊の聖書。天使にとって術を放つ為の媒体の一つ。足元から放たれる銃弾を掻い潜りながら、太陽を背にして閉じたままの聖書に手を翳すと南に向かって吹く風に逆らうように表紙が開き、パラパラとページがめくられていった。「方状結界・礫」短い詠唱の後、天使の周囲に現れる幾つもの小さく半透明な立方体。殺傷能力こそ乏しいが、当たればそこそこに痛い。まして上空から掃射されれば尚の事。「銃撃隊の機能くらいは潰しておきたいですからね」
困ったような笑みを浮かべ、翼を一度大きく羽ばたかせると。小さな半透明の礫達が一斉に、地上へと放たれた。単騎でそのような反撃が来ると想定していなかったのか、眼下の集団が僅かに足並みを乱す。(着いてきて…くださいね?)そんな事を半ば願いながら、天使は海岸線上空からトルスタン城の方向へ向かって翼を羽ばたかせた。
短い休息の後、周囲の様子を伺おうと、ふらりと飛び――…いくらもせず慌てて着地し、岩陰に隠れる。岩山の向こう、やや遠くに戦の気配が見えた。問題はそれではなく、別のそう遠くない位置の何やら禍々しい存在。飛行する種の無駄によく見える目は、その黒い者の動向、手にしているものまではっきり認識した。油断しきっていた心に、冷や水を浴びせられた。何者かは分からないが、存在を覚られるのはまずい気がした。再び自分に不可視の術をかけ、件のナイフ―武器というよりは魔力媒体の意味の強いそれに手をかけ、岩陰で息を殺す。見つからないことを祈りながら、初陣もこうして怯えていたな、と軽く苦笑した。
砂漠の夜は冷えるが、この辺りまで来るとそうでもないものだな…などと、相変わらず悠長な事を考えていたふと、近くに感じる気配敵味方以前に、懐かしい気だった辺りを見回せば、空に見える大きな羽根「おや?これはまた、久しい方…」偵察中だろうか?方角を見るに彼も同じルドラム仕官の様だが…さて、しかし敵陣も近いだろうに大声で呼ぶわけにもいかないし、かといって己の翼では飛べないし思わぬ難題に思案しながら、空を見上げて飛翔る翼は美しいのだな、と…ぼんやりその動きを見つめていた
響く轟音を遠くに聞きながら、月を見上げる「戦場…久々、だな」ぽつりと呟いたのは雪豹の耳と尻尾を持つ、髪の長い女盗賊。普段は戦に参戦する、というよりはどさくさに紛れて、こっそり色々頂戴する事が多かったのだけど「もう何年経ったのかな…」この国に、王に忠誠を誓ったのは…今回運が巡ってか、再びこの地に配属された。その意味を「今回 は」特別なものと感じて「ちゃんとしよう、かな」そう呟き、愛用のナイフをぐっと握る。
今回の相手は有翼人地を這う獣にとって、空の敵はなかなか厄介だ…そういえば、初めて戦に出た時の相手も天翼だったなぁあの時はパパも居て、あの大きな背中に乗れば、有翼人も捕まえられるかなぁ〜なんて、考えてたっけ ふふそんな事を考え、思わず笑みがこぼれる「…さて、と」まずは仲間達と合流しなければ。かなり出遅れてしまったけれど、まだ間に合うだろうか…月から視線を外し、走り出す目指すは 西の空
周辺を警戒しつつ、空を翔る。 灯りの点在する夜闇の中の、真影を選びつつ緩やかに。 近くで戦火の気配が無いのが幸い。(…そういえば、彼の御仁は空飛べたっけ?w) 自国領とはいえ、敵陣も近く、どこで何が始まるか解らない状況、そんな中、単騎の御仁を放置するのって、よくなくない? やっぱり合流、した方がいいかな。 思い立って、駆った軌道を振り返る。 随分遠くになったけれど、まだ先ほどの場所に居る様子。 「ラ…」 …イアさん!と呼ぼうとして、慌てて口を押さえた。 大声出しちゃイケナイ、夜の静寂に響くこだまが何を引き付けるか。 静かに、そちらに近づきつつ降下する。
引き裂く声が上がる屈み込み、頭を埋めるか細い声が、何か言っている…もう、声はない何かの音だけが、不気味に響く…ぴくりと身体を動かすと、ゆっくりと頭を擡げる頭を覆う布から、生暖かいものがぼたぼたと落ちた「フウウゥ…フ、フ」ゆっくりと息を吐きながら、布の奥から影がわらう吠え猛るそこいらに散在する屍が、かつてそうしていたように鼻が利くここいらでは、珍しい…強い、魔力のにおいの元へ獣のように、四つ足で駆けていく
あちらこちらから獣の気配がする中、何故か敵の襲撃も無くビーストアーク領へ侵入できてしまった。敵陣の只中へ誘い込まれているのか、罠なのか、けれども後方からも戦の音がするのなら先へと進むしかない。敵兵の首も、敗走の傷も無しに手ぶらで戻るわけにはいかないのだから。王宮へ戻るタイミングを逃して、荷物を背負ったまま歩兵隊の後を追っていく何となく、思うことは敵兵は目を引く何か、或いは対処しなければならない事態、そちらに兵が割かれているのではないか?その隙に敵国の懐へ入りこめば、打撃を与えられはするが…さて、空を翼が舞い、獣が地をもつれ合い、国旗はためく光景。視界が開ける。
どこかへ去るのを待っているこちらの心など知る訳もなく、禍々しい何かは屍を貪っている。――お行儀の悪い…。同じ年頃の人間種のお嬢さんが見たら卒倒しそうな光景に暢気な感想を抱きつつ、食い散らかす影から離れるように岩陰を移動していると、「…?」咆哮が聞こえた。見ると、血みどろの顔がこちらの方に向かってきていた。四つ足で。「……ッ!!」悲鳴を必死に抑え、ひとまず身を隠していた岩に飛び上がる。疲れていなければいくらでも飛んで逃げるのだが、まだ大して回復していない。
急な方向転換…ではなく、感付かれたと考えた方が妥当か。違うと思いたいが、この辺りに狂気染みた暴力の対象になりそうな物や者はなかったと思った。自分以外は。光をいじって姿を見えなくしているだけなので、元々鼻の利く者や耳のいい者にはあまり有効な術ではない。それは魔力の感受性の強い者に対しても言えることだった。…つい上ったこの岩も、あの様子だと簡単に登ってくるのではないか?先程の「お行儀の悪いお食事?」の様子が脳裏を過る。一応姿は消したまま、ほとんど聞こえないような声で、爆発を伴う閃光弾の詠唱を行う。…いつでも発動出来るように。
木々は日の光を受けて、青々と茂った葉を揺らす。日常ならば、この高原の一角で寝転び、過ごす者もいるだろう。非現実的な戦いの継続は、大地をどれだけ汚しただろうか。草に覆われ誤魔化すように、深い傷を隠しているのかもしれない。上辺の顔だけの者達の混沌と同じように。倒れた者達の道を行けば、そこは予定通りの戦場。翼を持つ者達が槍を向け急降下、獣達は地を走り衝突を繰り返す。1つを除いて。“その塊”は思ったよりも小さかった。どれだけの力を持った意志のある者、巨人か何かかと、興味だけが先行し、分析などしながら追ってはいたが、人と大差ないただの襤褸の塊だった。
聞くに堪えない酷い声を上げ、黒くも赤くも見える液体を垂らしている。その禍々しい雰囲気、両陣営の者達が敬遠しているのは明らかだった。対して距離を取って構えている歩兵。不安、疑問、恐怖、様々な感情が乱れている様子だった。その数名の部隊に近づき援護する素振りで紛れる。間も無く、それは気付いたように、手足を地に付け、駆け出した。何か…見つけたか…。だが、ならば、と、もう1つ興味が沸く。手に汗と剣のグリップ。獣共が来るぞ…。耳打ちするように、歩兵に視線を促し、獣になった布の塊を追走。相変わらず無表情のまま。戦意の高揚を隠して。
精霊は、じっと南の方を眺めていた。心の中で色々と葛藤しながら。彼女が誘いを受けてくれたのは良いが、本当に自分で良かったのだろうか?全てを託したい、と彼女に話したが、それをどう受け取られたのだろう。自分の気持ちを誤魔化さず、覚悟を決めて、彼女と向き合えるだろうか?そもそも、彼女に受け入れてもらえるのだろうか?(いや、愛の告白をするわけじゃなくてな?)何となく自分で自分に突っ込みを入れる。何時に無く、動揺や焦りが自分でも感じられた。いつでも落ち着いていられている訳ではないが、不安と期待と高揚とが綯い交ぜになって、これまでに無いほど、精霊の心をざわつかせている。
(落ち着け、俺)大きく深呼吸した所に。『シーファ!!!』彼女の――マーシェの、珍しく大きな声がかかった。情けない事に、激しく咳き込んでしまう。「マ…マー……シェ…ごほっごほっ」(ああもう。)涙目で彼女を見下ろすと、血の付いた剣が見えた。返り血だろうか、彼女の服にも血が点々と付いている。そして、激しい息遣い。紅潮した顔。「こほん。…マーシェ…来てくれたんだね、ありがとう。 ごめん、無理させちゃった、かな」それでも。そんなに急いで来てくれた。自分に会いに。とても、嬉しかった。
何となく周囲を見回す。トルスタン城の東の方面にあるこの丘は、帝国軍・解放軍とも進路から外れている。その為か双方の兵が来る事も無さそうだ。最も、戦時中故に何が起こるかはわからないが。「えっとね、俺、マーシェの事好きだよ。 柔らかいのに、凛とした物腰も。 大人びているようで、好奇心一杯でちょっぴり子供っぽい所も。 旅人でありながら、根本は高貴な気質を持っている所もも。 義理堅くあるが、自分をちゃんと大切にする所も。 明るいけれど、影があるところも。 全てが好ましい」結局愛の告白になってしまった。慌てて手を振る。
「も、もちろん友愛だからね? 感じてるのは。 マーシェに言ったよね、全てを託したいって。 それは、君に俺のマスターになってほしかったからなんだ」もう、彼女に対して誤魔化すのはやめた。だって、ずっと伝えたかったのだから。けれども。「……だけど、俺は帝国の風の精霊で、君は解放軍の旅人。 今、マスターになって欲しいって言われても互いの立場があるよね。 それに、きっと。俺も君も互いに戦いたいと思っている」だから。
「だから、俺は全力で、君の刃に応えよう。 その上で、君は俺と契約するかを判断して欲しい。 ……無論、そこで命を落として風に戻ったとしても、 俺は君に相応しくなかったというだけだから」精霊は、肩に担いでいた鎌を静かに闇エルフの旅人に向ける。精霊から彼女への、宣戦布告。「俺を奪えるか? マーシェ。 本気でかからないと、君の命も危ういかも知れないよ」
大きな岩においの元は、この上にあるゆっくりと二本足で立ち上がり、見上げる姿は見えないが、ひとの気配が感じられるような気がした「降りられなくなったのか…」見えない姿に、地上から、穏やかに語りかける…返事はない「……。」布の端が、地面から離れていく鬼火のように、ゆらゆらと揺れながら岩の側を上っていった魔力の高まり殺気微かに感じられる近付く度に、強くなっていく…なんだ、同じか…「…。つまらない…」無意識に、小さく呟く腕を伸ばすただ、そこにある「何か」を探るように
予想外。あの勢いで駆け登ってきて、食いつかれるかと思ったら。「降りられなくなったのか…」岩の下から穏やかに話しかけられた。先程までの様子との差に唖然としているうちに、気がついたらそれは実に静かに自分の横にいた。「…。つまらない…」そう呟いて手を伸ばしてくる。その手が鴉天狗の腕に触れるのと、不可視の術が解けるのはほぼ同時だった。…血まみれの顔の暗い瞳とばっちり目が合った。「…わあああ?!」混乱気味の叫び声と共に放たれた術は、やたらまばゆい光を放ちながら爆発して、二人の足場である岩を砕いた。
確かに触れた小さな女綺麗な顔立ちの、驚いた様子……直後、辺りが真っ白に変わる大きな音が響く足場が崩れていった平衡感覚を失う地面に叩きつけられて、倒れたことに気付いた…音が止んだ土煙が立ち込めているこれは…手痛い仕打ちを受けたらしい「…ウ、フフ…」ゆっくりと身を起こす周りの様子が分からないにおいは、感じられていたそれを頼りに、ふらふらと歩き出す小さく、わらいながら
彼女の声、数々の言葉が。胸を、静かに、打つ。「マーシェに言ったよね、全てを託したいって。それは、君に俺のマスターになってほしかったからなんだ」彼女の素直な、胸を貫くほどの、焦がれるほど美しい、―――まっすぐな、まっすぐな。その言葉。そうか。――そう、だったのか。(―――今度こそ、託そうと思って。マーシェに、俺の全てを)ようやく、知ることができた。戦争が始まる前、ボクを訪ねてきた彼女が言った言葉の本当の意味。「全て」が何を指すのかは、よくわかっていなかった。でも、「全て」という言葉に、ただならぬ重みを感じてはいた。
だから。嬉しかった。ボクにそれを託したいと言ってくれたことが。――しかし。そんな気高い心をもつ彼女の前に立つには――ボクは恥ずかしいぐらいあまりにも小さくて、弱くて、器が小さくて。果たして、自分が貴女の覚悟を受け止めるに足るのか。不安だった。それでも、彼女に早く会いたくて、戦いたくて、託したい「全て」とは何なのか知りたくて、丘を駆け上ったのは事実。「俺を奪えるか? マーシェ。本気でかからないと、君の命も危ういかも知れないよ」静かに突きつけられた、彼女の鎌。今。彼女の覚悟が、静かに燃えている。その姿が、綺麗で。涙が出そうなぐらい、綺麗で。
目を閉じ、開き。目を細めて、微笑んだ。「――シーファ。ありがとう。我が親愛なる友よ」熱を、戦の匂いを孕んだ風が、頬を撫でる。「貴女の限りない優しさ、まっすぐな強さ、周りを惹きつける明るさ。そして、たまに見せる繊細さ、危うい脆さ。ボクも大好きだよ。本当に、眩しいほどに。憧れるほどに。貴女のようになれたら、どんなに…」乱れる髪を押さえる。「どんなに、素敵だろうって、思っていたよ。いや、今も思っている」だから。好きだからこそ。本気で、戦うんだ。好きだと言ってくれた貴女に、相応しいように。(本当、愛の告白みたいだな)苦笑し、すぐに表情を引き締める。
「――だから、シーファ=ソルル。ボクも、ボクを賭けて貴女と刃を交えよう。…そして」剣を準備体操のように振り回し、構える。それは、彼女の宣戦布告を受け止めた合図。そして、闘いが始まる合図。「貴女にも、見極めて欲しい。ボクが、貴女のマスターに相応しく、貴女の全てを託すに足るかどうか!」駆け出す。もう、引き返せない。ボクらは、戦う。殺し合うためではなく、お互いの覚悟を証明しあうために。まずは、足場だ。今は、彼女がボクを見下ろす位置関係になっている。それは、やりづらい。一気に彼女と同じ高さの足場まで駆け上がり、上段から斬りかかる。
穏やかな声と無差別な凶行、血に爛れた暗い目。…どれを基準に捉えるのが正解?翼のお陰で柔らかく着地し、土煙の中で戸惑っていると、「…ウ、フフ…」…聞こえた幽かなわらい声。揺れながら、こちらに近づいているような…。慌てて声のした方に向き直り、右手にナイフを構え後退りしながら…崩れた岩につまずいてよろける。「…っあ」小さく呻いた上バランスを取ろうと羽ばたいてしまった。羽ばたいたことで起きた風が、そうでなくても薄くなってきた土煙を動かした。(今ので居場所、バレたかな…!)詠唱はせず構えたナイフに魔力を送りながら、わらい声の反対方向にあたふたと退く。
突如響き渡った音に驚いて飛び上がる。慌てふためいて、近くの岩場の影に転がり込んだ。部隊の誰もが動揺して辺りを見回し、武器を構えたまま固まっている者もいる。距離は離れていたため、実際にはそれほど大きな衝撃ではなかったようだが、突然の事に心臓が口から飛び出てしまいそうなくらいだ。爆発の現場をようやく見つけて、もうもうと立ち昇る土煙の合間から砕けた岩が顔を覗かせる。岩をあんな風に割る爆弾だか魔法か……とても、自分では太刀打ちできそうにありません…!そう感じて見上げた部隊長の顔も真っ青で、どうしたものかしらと頭をかかえる。…隊長、岩陰での休憩を提案致します
ルドラムの銃撃小隊を目論見通り海岸線より内陸部へと誘導して。適度な高度を保ちながら空を駆る。引き離せたと判断した時点で隊へ戻る事も考えたが、白い翼に黒のウェアと言う目立つ身では早計のような気がして、天使はそのまま単独でトルスタン城へ向かう事を決めたようだった。眼下に広がる戦闘の「風景」は決して気分の良いものではなく、風に乗って聞こえてくる悲鳴や怒号、砲声、血の匂いに気が滅入る。トルスタン城周辺ではすでに帝国の兵士と解放軍の兵士との間での交戦が始まっているようだった。拠点とする為の城をどちらの軍が占有しているのか、まだ読めない。(これでは…下手な場所へは降りられませんね…)
両軍入り乱れての交戦。南側から攻めているのが自軍だろうが、迂闊に降り立って交戦中の両軍のど真ん中、では笑い話にもならないのだ。僅かに高度を上げ、周辺を見回しながら徐々に城の東側へと進路を取る。西側にある中継地を経て来ているであろう隊の発見を遅らせる為には、そのまままっすぐ北へ進むか双方の兵の少ない東へ進路取るしかなく、単騎で北上するのはあまりにも無謀なように思えた。東へと進みながら、降り立つ場所を探して降下していくその中で。(あれは……シーファさん…?)東側の丘に2つの人影を見つける。片方は、この大陸に渡って以降弟子共々世話になり、教会へも足を運んでくれていた知己の精霊。
相対しているもう一つの影はどうやら自軍の看護師のようだ。彼女と言葉を交わした事は一度もないが、病院へ足を運んだ際に見かけた顔はその身を返り血に染め、丘の上に立つ精霊を見つめていた。風に乗って僅かに聞こえる双方の声。(…邪魔になるものを呼び込んではいけませんね)自身が丘の上空に身を置けば、どこの誰に見咎められる。そうなればあの2人の「邪魔」をしてしまう事にもなりかねないだろう。かと言って、2人を結界で包み込み、余人を介させないのも野暮な気がした。背後で上がる砲撃の音と砂塵。大きな黒煙。誰かが気づく前に。天使は僅かに上昇しながら反転すると、急下降しながら黒煙の中に身を躍らせた。
屍のにおいが満ちていてもあのにおいが、わかる強い、すぐ近く…小さな声大きな鳥が、翼を広げたような音小さな空気の塊が当たり、通り過ぎて行く…見えた白く美しい翼を広げた、小さな女翼を、首を、手足を噛みちぎり、引きちぎるそうしたら、どんな声でなくだろうあの、綺麗な顔引き裂いたら、どんなに醜い姿を見せるだろう駆け出すわらい声を上げながら、飛びかかる
既に当初の戦線は失われていた。ゴラル近郊の最前線に配置されていた経験の浅い士官翼人らは、勇敢に死ぬか、逃げるか、極一部の冴えた奴が反撃しつつ後退するか……うちの中隊長は玉砕、副官は何処に行ったのやら。しかし、それは最初から織り込まれていたのだろう。BAの群は第一線で勢いを減らし、直後に天翼の第二戦線にぶつかった。結果……ややBAが押し込んだ戦況のまま、ほぼ固定されている。「一撃を防いだはいいが、互いに予備が無いのか。……長く戦い続けた、その結果か」戦が日常と化していても、それは永遠ではない。戦い続けることなどできないのだから。
中隊は滅茶苦茶となった最前線からの撤退の中、殆どの幹部士官と兵を失い、その途中で同じように敗走する味方部隊を吸収。雑多な雑兵の群れと化している。司令部は、そんな敗残兵の群れも休ませる気は無いらしい。自分たちの責任において再編成を行い、ナディゴスを根拠地とし優勢な敵に遊撃戦を挑め……士官の補充は無かった。「……本来使い捨ての兵力、その再利用。経済的なことだ」それもまた戦、か。振るべき袖すら既に無い、そんなところだろう。
「私への手紙だと?……呼び出し?残念だが」そんなヒマはない。「誰が出したか判らんが、用事なら自分で来い。差出人にはそう伝えろ」今は、私自身と、部下たちが生き残ることで必死だ。大体、私は戦場で手紙のやり取りをしたことは無い。……部下の家族へ戦死通知を書いてきたこと以外は。それに、私はまだ行くところがある、ここで死ぬわけには行かない。……そも。”この程度の劣勢”で消極的になるのも、気分はよくない。「反撃、してみようか」
遊撃せよ……つまりはどうにかして敵を困らせろ。当座の敵正面、ゴラルは山岳都市。飛兵や獣ならともかく、こちとら羽無しである。進んで戦場にしたい土地ではない。だから。「程度のよい船を徴用、海上機動で敵後方、ウーバン洞窟近郊に進出。補給段列襲撃及び海上交通網の妨害を行う。……一個中隊も兵が居れば、切込みには足りるな?」敵の安全な拠点を圧迫する。少数兵力でやれることは、そのぐらいだろう。ま、今居る兵らが水上戦闘に耐えられるとは期待しにくいが。この手の作戦は何より”勝つ”よりも”襲う”こと自体が大事なのでどうにかなるだろう。
静かに微笑む、その笑みに。紡ぎだされた言葉に。胸が高鳴るのを感じる。(うわあ、やっぱりこういうの、こっ恥ずかしいもんだな)自分も同じように告白してしまった分、お互い様という気もするが。そして。彼女は自分の宣戦布告を受けて、剣を構えた。『貴女にも、見極めて欲しい。ボクが、貴女のマスターに相応しく、貴女の全てを託すに足るかどうか!』「ああ、上等だ!」心に決めた相手だとはいえ、迷いはあった。何せ自分の全てを預ける存在なのだから。見極めるのは、技量ではなく強さでもなく、その心、精神、魂。本質そのもの。
さあ、始めよう。君の生き様を見せておくれ。見届けたら改めて契約を申し込もう。「――ありがとう、マーシェ」嬉しくて、何故か泣きそうになりながら。想いを一言の感謝に詰め込んで、マーシェに向けた鎌を、自分に引き寄せる。自分は丘の上、彼女は丘の下方。このままでは当然、彼女は自分が放つ風の餌食になる。彼女は確か魔法が使えたと思うが、魔法よりも自らの剣を選ぶだろう。ならば、彼女はここに駆け上るしかない。もちろん、真っ直ぐに。彼女の性格なら真正面からぶつかるはず。
上段から切りかかる刃。鎌の柄でそれを防ぐ。三年前に見た時より、遥かに速い。そして鋭い。(あの時、あの人は自らの身体で受けていたけど…)振り払うように鎌で剣を押し返し、バランスを崩した振りをして彼女の懐へ踏み込む。(今のマーシェなら、足の腱ぐらいは切れたかもしれないな)「マーシェ、強くなってるじゃん! ふふ、楽しみだ」知己の天使が気を遣って退いたのを知らず。心底嬉しそうに笑い、精霊は彼女の脇腹に向かって膝を繰り出した。
――疑問など無視して逃げればよかったのに。わらいながら向かってくる暗い火。避けようと舞い上がったが、間に合わず脚を捕らえられ、そのままバランスを崩して倒れ込む。「きゃ…あぁぁ、ああああああっ」足に爪だか歯だか判然としないものが食い込んで千切れそうに痛いが、相手の力が強すぎてろくに抵抗も出来ない。頭を掴んで押し退けようにも同じこと。まして羽ばたいて暴れたところで、体が相手毎動くだけ。魔力をたっぷり吸わせた右手のナイフ、その透き通った刀身には太陽にも似た白い炎が燃え上がり、ほとんど炎そのものに見える。悲鳴をあげながら、自分にしがみついた黒い炎にその刃を降り下ろした。
甲高い声が耳元で響いた抗う度に落ちる、小さな女の上に誰かの血、わたしの毒首を傾げる己の腕の中で、必死に暴れている無駄なことをするものだその様子が面白くて、暫し眺める…女の右手が動いたのが見えた鋭いものが己を貫き、流れ込む己と対をなす力身体のなかで、逆流する己の身体の左側で大きな音と共に火が弾け飛んだ「…アア……」布の裾から、だらりと何かが落ちる鼻を突く異臭と、焦げたにおいがした…。掴むゆっくりと、首を右腕に、少しずつ力を加えていく…ほうら、…次は、どうする…すぐには殺さないもう少し、楽しんでから
ぶつかる、金属の音。彼女は、まっすぐ受け止めた。逃げることなく。不意討ちをしかけることもなく。わかっていた。彼女はそういう人だと。だから、安心して飛び込んでいけた。戦っているのに安心という言葉が出てくるのも、なんだかおかしいが。彼女の青緑の瞳。躍動する赤髪。ふ、と懐に入る彼女。さながら、風のような自然さで。『マーシェ、強くなってるじゃん! ふふ、楽しみだ』―――ドッ「ぐッ…!」脇腹への衝撃と、くぐもった自分のうめき声が聞こえたのは同時。弾き飛ばされる。なんとか立ったまま、ザザザと砂煙を巻き上げながら。ブーツの底が減りそうだ。
あの鋭く打ち込まれた膝。――避けられなかった。強者と戦う、期待と不安。そして、それを上回る興奮が、身体を駆け抜ける。ゲホッと一回咳き込み、薄く笑う。「…そう言ってもらえて光栄だな…しかし」手のひらに集約する魔力。おいで。氷の子らよ。力を貸して。「強くなったのは貴女もだね、シーファ」生まれる、5本の氷の矢。さあ、彼女へ。鋭く。少しでも早く。「――お行き、氷の子ら」一斉に放つ。
ドラゴンらしいサイズになった竜の、広々とした背の上で地図を広げる曰く、精霊力やら何やらが入り乱れていて、普段の家庭用サイズでは翼が安定しないらしい討伐されそうで嫌だが、まあその時は見捨てて逃げるだけだ翼はもう一組ある『翼人の軍が船の用意をしとるのう』「じゃあ高度を上げるか。お前の移動で風が乱れる」概ね羽毛でもさもさした天翼の部隊に綺麗な色合いのリザードマンを見つけ、思わず呟く「見ろ、可愛いトカゲっていうのはああいうのを言うんだ。お前みたいな大トカゲが可愛いとか図々しい」『小さきものが可愛いという価値観こそが誤りじゃ』へらず口を
地上が遠ざかると、自力では気配ぐらいしか判らない『お、鴉天狗の娘よ。なんぞ難儀しとるの』竜の示す方をうかがえば、そんな様な気配もするだが、一方の気配も知っている更に――「近くに旦那もいるから大丈夫だろう」地図に印を付けながら答える『何、どれが番いじゃ?!』好奇心剥き出しにバサバサと翼を振り、旋回しようとする竜の背を叩いて先を促す「ほら海を渡るぞ」未練たらしく風の精霊に音を運ばせようと命じている竜に嘆息して、地図に書き込んだ・ゴラル【天翼】ユプラ【?】月下璃斗【アクア】巌念【?】ヴェガ(海上?)【天翼】滅鬼
ゴラルとコブム…音にするとそうでもないが、文字にすると紛らわしい『おー、懐かしい五翼がおる』「他には?」『片翼の長耳眼鏡と…北へ向かう、面白い帽子に萌え服の娘がおるな』誰かに聞かれてたら俺は土下座行脚だな…『あと東じゃな…ちと遠いのう…』地図を見るトルスタン城、毎度お馴染みの激戦区だ「そのわりにはファディア城と間違うんだよな…」ペンを走らせる・神都コブム【ルドラム】クラシカジェイド【ルドラム】ライア=ナイツ(迷子)【解放軍?】リリティア・トルスタン城【帝国】シーファ【解放】マーシェ(近郊)【解放軍】アルマロス
『ところで主よ。山城に用があるのではないのかえ』「そうだが?」何故、南国へ向かう?』そりゃあ一応解放軍の士官だからな。手続きは必要だ」『嘘じゃ! 主は嘘をついておる。南国で馬に乗り換えるつもりじゃ』思ったより早く気付かれた残念だギャアギャアと吼える竜を無視して、いかにしてこいつを乗り捨てるかを考えるひどく個人的に、戦場は遠い・ナイトメア(病院)【悪夢】ゼレナリュシュ・月光【月光】呼宵・解放軍【解放軍】ソラン=シレジア・ルドラム【ルドラム】蒼雷麗・天翼【天翼】グレイ=シルヴァー(以上敬称略。位置は大まかに。見落としがあれば申し訳ない)
「ぁ、ぐ…」ナイフに手応えはあったが、どのくらい効いてくれたものか。少なくとも、相手にはこちらの首を絞めてくるくらいには元気なようで。「…ざ…い、……か、…ぁ…」苦悶の表情で詠唱しようとするが、途切れ途切れのそれは首の手に込められる力が強くなる程に潰れたような呻き声に変わる。ナイフは爆発で取り落とし、代わりに右手には火傷と裂傷。首を絞める手をどけようにも、やっぱり力負け。周りには砕けた岩やら襤褸布から落ちた何者かの血やら何やらと、鴉天狗の血と羽根が混ざりあっている。辛うじて組み上げられた術式に呼び出された悲鳴のような青白い火は、術者に覆い被さった黒い影を包もうと揺れた。
それは、眩い閃光だった。襤褸布の獣が岩に登るや否や、大きな爆発音と風。思わず足を止める。崩れ落ちていく土台。包み込むように瞬く間に立ち込める土煙。罠に掛かった獣の様、地雷にでも惹かれたのか。だが、放たれた光は、どこか知っているような気がしてならなかった。…まさか…。過ぎる可能性。一歩一歩。事実へと近づく。土煙は引き始め、襤褸布の獣が何者かを覆っている。女の悲鳴。得物で必死に抵抗をしている姿は。後ろからでも容易に伺える。光。声。己の想像の範疇を超えた感情が、湧き出て来るのを感じた。遥か遠い場所で全てを亡くした時の一片。思い出した。
私は、その女をよく知っている。ただ、それだけ。だが、それだけが重要だった。得体の知れない力が、体を動かしていた。覆い被さっている襤褸布に、後ろから剣を突き刺す如き勢い、頸であろう部分に当てる。予想通り。必死に抵抗を試みているのだろう。首を絞められ身動きも取れない状態の女。襤褸布越しの良く知る顔は、絶望の目をしていた。青白い光が、襤褸布の獣を包み始めている。その女、璃斗と、一瞬。目が合った気がした。「…離して貰おうか……化物……。」左手から伸びる剣に力を込め。極々単調な音の言葉。
岩場の影に隠れて引きこもることしばらく気分も少し落ち着き、辺りの様子を改めて伺う余裕がでてきた。先ほど爆発のあった岩場を眺めて確かめると、まだそこには誰かがいるようだ。もつれ合う黒い何かと、白い翼。翼…?「翼人ですよ!友軍ではないですか!?」助けに、と慌てて振り返ると、まだ腰を抜かしたまま動けそうにない部隊長の姿。「…もうっ!」頼りにならない兵士にくっついていてはもはやどこに居ても同じだ。長柄の斧をを一振りだけ持ち、あとの邪魔な武器は放り捨てていく。見ると、翼の人物に歩兵らしき者が加勢している。下手に彼らの集中を妨げないよう、様子を見ながら駆け寄っていく
蹴りあげた膝は、小さな彼女の身体を突き放す。思っていた以上に軽かった手応えに、ほんの少しだけ罪悪感が胸をよぎる。『強くなったのは貴女もだね、シーファ』「ああ、そうなら嬉しいな」強ければ、それだけ主が安全だという事。もう既に考え方が契約後の思考になってるな、と苦笑する。彼女の手に集まっていく冷気。油断なく鎌を構えるが。『――お行き、氷の子ら』至近距離ではないにしろ、近い距離からの魔法。氷の矢が生み出され、まっすぐにこちらへ向かってくる。この距離、今からでは風の防御が間に合わない。「一陣の――」精霊は鎌を振り上げ、そのまま氷の矢の方へと突っ込んだ。
下がるよりも前へ。追い風と共に。「風よ吹け!」突っ込みながら風を氷の矢に叩きつける。全部弾けなくてもいい。狙いが外れれば。「くっ…」氷の矢が頬をかすめ、肘を掠り、そして左の翼に突き刺さる。残りの二つは何とかかわせたようだ。人と同じ紅い血を流しながら、精霊はさらに踏み込む。「っぁあああああ!」痛みを噛み殺すように吼え、彼女に向かって鎌を振り下ろした。
…熱い襤褸布が、のたうつように舞い上がり、少しずつ灰に変わっていく「…ハ、ハ……」首を絞める腕に、一層力を込める苦しそうな女の顔に、頭を近づけて、「…フフ、もう…終わり…?」今にもわらい出すような声で問いかけた血の付いた頬を、舐める…ひやり、と背後に何かが近付いた男の声静かだが、強い意志を感じられる……青白い火が、己の身体を包む火は、女にも近付いていく己が呼び出した火で己を焼くのか、この女…「…フフ、フ…クク…」男に背中を向けたまま、肩を小刻み震わせて笑う首を絞める力は緩めずに
もう声も出せない。脈打つ血が張り詰めて、目が、唇が痛む。頬を這う舌を押し退ける代わりに歯を喰いしばり顔をいくらか背ける。ぼろぼろと涙が溢れたが、無論何の役にも立たない。いつの間にか、自分を嬲る者の向こう側に当初の目的…つまり探していた城主―ヴェガが立っていた。探しに来た筈が逆に見つけられた。よりによってこんな姿を。
ヴェガと一瞬目が合ったが…見られたくなくて目を閉じた。それから目の前にある顔を押し退けようとするように―自分の顔を隠そうとするように、相手と自分の顔との間に、掌を相手に向ける形で両手を差し挟んだ。もう一人近寄ってきているリザードマンの存在には気付ける筈もなく。死なばもろとも、と彼女が思ったのかどうか。相手が彼女の火に驚きでもして首を解放してくれれば、防御結界で自分の身は焼けないようにも出来ただろう。それは叶わず、青白い炎は密着した相手と共に術者である彼女自身にも迫っていた。
目に映るのは、鎌を構え、こちらを警戒する彼女。放つは、氷の矢。彼女を貫かんとする、鋭い冷たさ。友を傷つけることに対する罪悪感。氷の矢にどう彼女が立ち向かうのかを知りたいという好奇心。ああ。所詮は旅人。好奇心に、自制などきかない。そうして、今まで歩いてきたのだから。シーファ。ごめんなさい、と謝っては貴女の覚悟を傷つけるだろうか。いくよ。
放たれる氷の矢。彼女は。『一陣の――』鎌を振り上げ。そのまま。氷の矢へ。(―――!?)まさか。捨て身、というのか。『風よ吹け!』巻き起こる突風で、それる2本の矢。しかし。頬から、肘から、翼から。赤く飛び散る飛沫。風を従え、赤を散らしながらも鎌を構えて突進する彼女。速い。そして、美しい。圧倒、される。『っぁあああああ!』「シーファァァァァァッ!!」彼女の絶叫に、被せるように吼え。自然と動く身体。剣で鎌を受ける。
ガァン!!!刃と刃のぶつかる音。彼女の連れた風は、叩きつけてくるかのようだった。髪は踊り、衣服ははためき、砂礫が飛ぶ。腕に、背骨に、足に、伝わる衝撃。「…っく…」必死に食い止めているのを表わすかのように、カチカチカチカチと刃が擦れ合う音がする。「…貴女のマスターになるということは」彼女の目を見据える。「命を預け、預かるわけで。それは即ち、ボクの全てを貴女に託し、ボクが貴女の全てを託されるということ」ザリ…と踏ん張る踵が少しずつ後ろへ下がっていく。押されている。全てを託す、のなら。伝えなくては。
「ボクは旅人。そして叔父殺し。…シーファの手を取るに値する綺麗な手をしていない…それでも!」剣にかける力をふっと緩め、彼女のバランスを崩すことを狙う。それを確認する間も無く、肩を当てる。簡単に言えば、体当たりだ。「“私”をマスターにしたいと言える…!?」頭の中、どこかで。一人称の変化よりも。自分の汚さを曝け出していることに、驚いていた。これで彼女が、契約の申し出を断るのなら。ボクは、それまでだったということ。ダメージはゼロではないが、彼女に汚いものを嫌々押し付ける方が、何より。嫌だ。それだけは、絶対に。
「どうしてこうなった…」じりじりと照りつける太陽を仰ぎながら項垂れる。手紙を託してから様子を伺おうとした所、不幸にも自分の顔を知る有翼人に見つかり言い訳をする間も与えられず、不幸を呼ぶだの縁起が悪いだの敗戦するだのと指を指され、同じくして顔を知る者に話を盛られて………挙句の果てに出来るだけ遠くに捨ててきた方が良いとまで言われ、偵察と言う名目で追っ払われる事になってしまった。幾ら人員不足とは言え年老いた人間一人雇うよりもリスクは極力回避したいようだが幾らなんでもめちゃくちゃである。だが、それがまかり通ってしまうくらいありえない幸の薄さを発揮したのもまた事実だった。
その後は絵に描いたような展開の繰り返しである。天翼領を出た後に所属を表す腕章を外そうとすれば、ビーストアーク兵と出くわして追い回され…やっとの思いで振り切り次こそ外そうと思った矢先に月光の忍びとご対面。三度目の正直など訪れず、良くある「呪いの装備」とは身体から離れぬ者だけではなく外す事が出来ない状況にある物まで含まれているのではないかと思い出した。もはや腕章の事は諦めた。天翼兵である事を敵兵に認識されれば当然、襲われるだろう。だが、外そうとすると何故かばったり顔を合わせてしまうのだから付けていても外していても変わりは無い。むしろ外そうとすると碌な目に合わないのだから…
地図を広げて現在位置を確認…する前に銃弾だけは先に選んでおく。また何処かの兵士とばったり会っても面倒だ。眠り粉であれば仮に敵ではなかった際にも無益な血を流させる事も無い。先手を撃つつもりで無ければまた命からがら逃亡する羽目になるのだから。大陸の西に位置するアンプルマ山脈から大陸の東側のギッシュの塔まで只管鬼ごっこをしてきた事になる。進路は大きく分けて3つ。西に戻るか南に下りルドラム方面に向うか北のドラバニアを目指すか。季候を考えれば砂漠地帯よりも北国の方が過ごしやすく人間の国であれば酷い目に合う可能性も低い…はず。此処から近い聖都オコラエフか王都ガスピアを目指すのが妥当だろう。
したっ したっ したっ屍の上を跳ねて行く。此処は兵達が命を散し逝った場所である。――それは美味そうな肉を選んでいた。これだけあるんだ、食べても構わないのだろう。周りには生きている者はいないし。適当な肉を選んだ。その場に落ちてた剣を使いバラし、鎧を剥ぎ取り、味見をする。…こんなものか。そのまま丈夫な牙で肉を噛み切っていった。こいつらは短く生きるのに殺しあいをする。沢山血を流す。なんで?まぁ飯にありつけるから有り難いけど。のんびり戦場の景色を見ながら食事をした。次は誰を食べよう、若いのか、老いたヤツか、男か、女か。そう考えながら屍の上を上機嫌で歩いていった。
邪魔は出来ない。引くべきだと感じた瞬間咄嗟に取ったのは、平素であれば大凡取らぬ大胆過ぎる行動。何処をどう飛んできたのか、気づけばいつの間にかギュレア中継地を西側に望む林の上空にいた。砲火の集中する中を駆るなど我ながら無謀だったと、苦笑とも自嘲の笑みとも言い難い表情を浮かべながら、手近な木の枝の上に降り立ち、地図を広げた。空を駆る者の習性故か、闇雲の滑空ではあったが方向は誤っていないようだ。確実に北へ進んでる。このまま北東に進めば王都ガスピア。まっすぐ北に上るとハイロブ中継地。その東にゴルトア監視所がある。「この状況でハイロブやゴルトア経由は……危険、ですね…」
帝国の領土内、トルスタン城からの北上組が多数を占める現状では双方とも監視が厳しいように思えた。混乱に乗じる事の出来た此処までは単騎が却って目立たなかったようだが、この先は見逃してはもらえないだろう。「では…どうしますか……」独り言ちに呟くが、監視の厳しい西側からの帝国領入を諦めるべきだと判りきっていた。とすれば、取るべき道は帝国領東側からの侵入。中立地を真東に、国境ギリギリに横断し、王都ガスピア・ギッシュの塔を経て聖都オコラエフに抜ける進路がゴルトア監視所を迂回出来るルートではあるが、帝都を目指すなら結構な遠回りルートになる。
「月光の里経由も時間的にはそう変わらないでしょうが……二国の目を掻い潜るのは難しいでしょうねぇ…」そんな事を呟きながら地図を閉じてしまうと、この先何が起こっても対処出来るように、腰に携えてきた聖書を手に取った。「此処から先」は結界術だけでは恐らく乗り切る事は出来ないだろう。得手不得手と言い訳をしている暇もなくなる。小さなため息一つ。天使は王都ガスピアの方向に進路を取りながら、東の空へと羽を羽ばたかせた。
投げつけた問いには応えず。襤褸布の獣は動こうとしない。不気味に吐くその音、もはや不快な雑音。生きる価値を見出すまでに長い時間を使った。助けられなければ、もう生きる意味など無い。幸せなど無縁だった私に、教えてくれた貴女。「…理解できないならば…打ち込まなければ…分からないか…」青白い炎が包みはじめ、化物が焦げの匂いを帯び始めた。この法力はきっと彼女のものだろう。「璃斗…隙を見て…退け…」諸共など、私が許さない。叶うならば僅かな力でも残っていて欲しいと、願う言葉。黒い剣を襤褸布の首元目掛け振り下ろす。
呪いが掛かっているようにしか思えない腕章を外すのを諦めてからは嵐の前の静けさかと誤解をしそうな程穏やかで、外させようと手を招いているようにも見える。此処で誘惑に駆られて何度目か分からない鬼ごっこを命がけで楽しむつもりは毛頭ない。かと言って、世界中が世界の終わりに向けて最後の覇者になろうと血眼になっている状態では、開戦中の兵だろうと他国の兵だろうとお構いなしだろう。今此処ですれ違った相手に背を刺されるような世界だ。最後までこの世界は争う事を選んだ。戦場に出ていた人間が言えることではないが。
体良く追っ払われた身だ、名ばかりの偵察の報告も必要としていまい。戦友の向った地からは随分と離れてしまい、どうした物かとふと見上げた先に映ったのは純白の翼を纏う者。あぁ、やっとお迎えが来たのかと縁起が良いとは思えぬ言葉を飲み込んでホルダーに手を伸ばす。有翼人であれば味方である事も考えられるが、さすがに単騎で人間の国に送り込む事は考え難い。人間の国に偵察に出すのであれば人間の方が目立たずに済む。となると、種族が雑多な解放軍と考えるべきか。この世界においては種族と国を結びつけた所で意味を成すかどうか怪しいが。刃を向けられれば当然身を守る為に愛銃に起きて貰う必要がある。
…と思考の中で弾丸の組み合わせを選んでいる最中に、結局は己もすれ違った相手の背を撃とうとしている事に気がついた。正当防衛とは便利な言葉だ。敵意があれば襲ってくるだろう。その時はその時に応じた対応を取れば良い話。相手の眼中に無ければ無かったで安心して王都の酒場で休憩を取りながら終焉を待てば良い。何らかの用件で接触した場合は…相手の出方を見て応戦するか、旅の人間を名乗ってやり過ごす事にしよう。旅人が他国に居ても何ら不自然ではない。ましてやデュークランド人がドラバニア帝国領内にいても当たり前の事。…かと言って、土地勘があると思われて道を尋ねられても困るが。
所々戦闘の痕跡はあるものの、最前線から僅かに外れたルートは比較的滑空での移動に適しているようだ。有翼種達の編隊だろうか、遠くに空からの襲撃・攻撃も垣間見える中、天使は王都ガスピアを早々に左手にやり過ごすと、次なる目印となるギッシュの塔を目指した。大陸の最東端に近い故か、最南に位置する解放軍側の東海からの上陸は論外なのだろう。東に進めば進む程戦闘の痕跡は消えていく。「この辺りならば、降りても大丈夫そうですね」ギッシュの塔に近づけば、その分塔に詰めているであろう帝国側の兵士に発見される確率は高くなる。
その前に地に降り立って徒歩を選ぶべきだろう。天使は降り立つ位置を探して大地の方へと視線を流した。その視界の中に入り込んでくる人影に、僅かに身構える。見上げる仕草から天使の存在に気付いている事は明らかだ。はっきりと顔まで明確に見える訳ではないが、体格・雰囲気から初老までは行かないくらいの男性のように見える。”さて……どう致しましょうか…”味方なら、問題はない。却って接触した方が互いの利もあるだろう。だが、敵なら?直接の対戦国の兵士ではないにしても、終焉の近いこの地でより多くの戦果を欲する者なら。天使の存在を知った以上、どちらにしてもやり過ごす事はしないだろう。
ゆっくりと。大地に、眼下に見える「誰か」に向かって天使は降下していった。味方ならば良し。敵ならば。覚悟は既に決まっている。その覚悟を示すように、天使の持つ聖書が仄青い光彩を放ち始め―――――
刃と刃がかち合う音が響いた。『…貴女のマスターになるということは』はっ、と彼女の瞳を見る。澄んだ、深い青の瞳。『命を預け、預かるわけで。それは即ち、ボクの全てを貴女に託し、ボクが貴女の全てを託されるということ』「ああ。君がそう願うのならば、そうなるんだろうな」精霊は全てを彼女に預けるが、彼女が同じ事をする必要はない。護る以上、委ねてもらう事はある為、託す、というのも間違いではないかもしれないが。『ボクは旅人。そして叔父殺し。…シーファの手を取るに値する綺麗な手をしていない…それでも!』圧し掛かるように鎌に力を加えた途端に、力が抜かれる。
さっきのようにわざとバランスを崩したわけではなく、精霊の姿勢が崩れた。体勢を整えようとするが、それよりも早く彼女の肩が当たる。『“私”をマスターにしたいと言える…!?』彼女に押され、さらに自分でも地を蹴って後ろに飛ぶ。翼を広げ、体勢を整え、顔を伏せた。「つっ…」突き刺さったままの氷の矢を翼から引き抜く。そして、顔を上げた。穢れを吐き出すような彼女の告白。傷の痛みではなく、彼女の心の痛みを受け取ったかのように、顔をゆがめる。が、小さく息をつくと、柔らかく微笑んだ。「馬鹿だなあ、マーシェ」戦場じゃなければ、離れていなければ頭をぽんぽん撫でていた事だろう。
「俺は覚悟したんだぜ? 君の穢れも悲しみも、全て受け入れるつもりで居るんだよ。 まあそもそも…」精霊は頬をかいて。「戦乱の世だ、手を汚す事は珍しくない。それが家族や恋人であっても」誰よりも人の死を視て来た精霊だから、言える言葉。だが、彼女が今話したという事は、自らの穢れとして吐き出したという事は。彼女が一番、それを汚いと感じているという事だ。「けれども、苦しかったんだね。ありがとう、話してくれて。だけどね?」目を細め、小さな彼女を見つめる。綺麗な手をしていないと、自分の手をとる資格は無いと言う、素直過ぎる、誠実過ぎる彼女を。
「穢れを知らぬ乙女より、俺は等身大の、ありのままのマーシェが良いんだよ」神様とかその眷属なんかは、穢れ無き乙女が良いんだろうけどね、と苦笑した。「答えになったかな? じゃあ俺の番。 俺は魂葬の風。魂を導く風だ」精霊の周囲に風が吹き始める。「俺は、人々の弔う心を乗せて吹く風。 けれども、導きを受けない魂もある。 そういう魂は、喰らう事になる」精霊の手元に風が集中していく。「他人には、特に親しいダチなんかには見せないようにしていたけれど。 マーシェが主になったとしたら、きっと見る事になる。 その時の俺は、…俺は君の目には化け物に映るだろう」
ふ、と自嘲の笑みを漏らし、その風を大事そうに抱え込んだ。「そんな俺でも、君は使役してくれるかい?」そして、放つ。これがきっと最後の攻撃。「吹き荒れろ、白刃の嵐!」小さな鎌鼬の荒れ狂う嵐が、マーシェに迫っていく。さらに、それを追って精霊は鎌を振り上げた。覚悟の程を図るかのように、彼女の喉元、その手前に突きつけようと。
あんな風に空を飛ぶ事が出来れば人間には見る事が出来ない世界が見えるのだろう。当然、この戦火の世界では見たくも無い物までが見渡せるのだろうが。天より舞い降りた天使殿が神の使いで有る事を物言わぬ聖書が言葉以上に訴えている。純白の翼を与えられ神に仕える身として存在する容姿も端麗な男…まるで絵画や美術品の世界の人間のようだ。これで女性ならば迷わずお茶にでも誘ったと言うのに。残念ながら同性ではそれは叶うまい。無論、男には興味が無い。「やあ、神父様。こんな所までお仕事かい?」大国であるドラバニアであれば物言わぬ仕事相手にも不足しないだろう。それ程までにこの世界は荒んでいる。
型にはまった戦士には見えない。人が死に絶えたとまで言われた世界で駆り出された人手不足の象徴のようにも見える。…が、戦士らしき覇気が希薄な男とは裏腹に、聖書の輝きは此方を威嚇でもしているかのように収まる事は無い。「争う気はない。閉じる世界で戦果を上げた所で何処にも持っていけないからね」戦士としてのプライドだの、名声を上げたいだの、生き甲斐だのという感情はとっくに鎮火してしまった。武器さえ捨ててしまえば説得力も生まれようが、親友の形見と戦友が託してくれた品を投げ捨てるなどもっての他。どうしても生きなければならなかった当時では命の次に大事な物であったが、今となって命よりも重い。
「どちらかと言えば営業妨害をするよりも仕事をお願いしたい立場かもしれないね」心残りを探して旅を続けてきた物の最後の最後でようやく理解したような気がした。もう会う事も無いと思っていた戦友の相変わらずな姿を見る事も出来たし、誰も知っている人間は居ないと思っていたのに温かく迎えてくれた少女とも再会できた。今までの軌跡を自分の足で辿って、友人達と過ごした思い出をなぞって…心残りはもう無い事を悟った。そうだ。俺は大切な人達にもう一度会いたかったんだ。未練が無いとは言え死ぬ程苦しめられた挙句に死ぬのはお断りだ。全力で逃げ出したい。綺麗な天使に導かれるなんて理想的じゃないか。彼が女性なら。
近づいてまず目に入ったのは、見覚えのある腕章。東風に靡く古びたマントの隙間からそれは僅かに見えただけだったが。あの腕章を身に着けていた頃もあった。その頃はまだ、自身が前線へ赴く事等ないと思っていた。「やあ、神父様。こんな所までお仕事かい?」掛けられた声も酷く穏やかで、向けられた表情も人の良さげな笑顔。だがその目は、何かを見極めようとしているようにも見えた。警戒を解かぬまま、男の目前に降り立つと再び声が掛かる。「争う気はない。閉じる世界で戦果を上げた所で何処にも持っていけないからね」それは男の本心なのだろう。ありがちな覇気も功名を欲する飢えたような気迫もないように思える。
隙をついて、その身に携えられたホルスターの中の銃を取り出そうとする気配さえ感じられない。いや、それ以前に(この方は……)男の放つ独特な気を天使は知っているような気がした。神父と言う職業柄、男が放つものと似た気を持って現れる人を何人も見てきている。だが、まさか戦場でそう言った者に出会うとは思っていなかった。これはどのような縁なのだろう。僅かに湧いた男への興味が聖書から仄青い光を失わせていく。「どちらかと言えば営業妨害をするよりも仕事をお願いしたい立場かもしれないね」正面から向けられた、戦場には似合わない邪気を感じない色褪せたような笑顔。やはり…、と思う。
「天翼軍の…方ですね?」懐かしい腕章を視界の中に。こうして向かい合っている相手が弟子でなかった事に少なからず感謝する。「私は解放軍所属のアルマロスと申します。差し支えなければ貴方の御名を御教え頂けますか?」男が闘いを望んでいないのならば。闘いを望まぬ男の「望み」を叶える事が終焉を迎えるこの地で最後に与えられた試練ならば。自身に出来る事を。男の望むままに。
「アルマロス…」何処かで聞き覚えのある名だ。交流所に出入りしていた事から交友関係は広く、何処で出会ったのかと記憶の中を探り出した結果閃いたのは…「あぁ、あの教会の神父様か。薄幸の呪詛の解除とあわよくば運気が良くなる祝福でもかけて貰おうと思ってたんだ」残念ながら出迎えてくれたのは不在の張り紙だった。薄っぺらい幸は呪詛でも何でもないのだが、会話をつなげる切り口にするには少々大げさにしておいた方が友好的な関係を築きやすい。「俺はグレイ」愛称だけ口に出してから終る世界で今更何十年も昔の事に拘り続けていても仕方が無いかと苦笑する。吹っ切れたのは心残りを消化できた証だろうか。
「本名はアールグレイなんだけどね。グレイで構わないよ」そうでも言っておかなければ御丁寧に一字一句読み上げてくれそうなタイプに見えた。他人に本名を名乗るのは20年ぶりだろうか。随分と錆付いてしまったように感じる。自分が思っていた以上に重荷に囚われていた様だ。気がつけば警戒心を剥き出しにしていた聖書はあるべき姿を取り戻しており、静寂に包まれていた。此方に敵意が無い事が伝わったのだろう。表情を読めば感知されたのは明らか。今までは誤魔化せていたのか見て見ぬ振りをされてきたのかは分からない。時の経過や気持ちの整理がついた事から隠す必要も無くなったのだろうか。
「お察しの通り俺は被呪者だね。厳密に言えば悪い女に引っかかったんだけど…」便宜上、呪いと称しておく事にする。それが無駄な説明を省いた結果である事は、既に見破っている天使には充分に伝わっているだろう。相手は魔女と言えばいいのだろうか。悪戯盛りな少女のようであり妖艶な女性だったようにも思える。生きたいと強く願い、まだ終る訳には行かないと縋りついた結果…暴利とも言える契約料を対価として支払わされた。積み上げられた債務は自らが飲んだ条件でもあったのだが、半ば騙されたような結果に呪われたと言いたくもなる。魔女は一字一句相違無い結果を残したのだから、よく確認しなかった己の過失なのだが…
濁った水面に澄んだ雫が落ちて、立てる波紋が汚い水を浄化していく。例えるなら、そんな感じだった。――ああ。自然に。涙が一筋、頬を伝った。これ以上の。優しい言葉があるだろうか。そして。この喜びを、感謝を伝える言葉など存在するだろうか。何を言っても、全てを伝えきれない気がする。微笑むシーファ。全く。貴女と言う人は。敵わないな。何故、こんなにも気高く、美しく在れるのか。「ありがとう…シーファ…」掠れた声で。それだけしか言えなかった。
『答えになったかな? じゃあ俺の番。 俺は魂葬の風。魂を導く風だ』スカートが、ふわ、と動いた。風が集まり始めている。『俺は、人々の弔う心を乗せて吹く風。 けれども、導きを受けない魂もある。 そういう魂は、喰らう事になる』感じたのは。魂葬の風として彼女が見てきたものの重さ。『他人には、特に親しいダチなんかには見せないようにしていたけれど。 マーシェが主になったとしたら、きっと見る事になる。 その時の俺は、…俺は君の目には化け物に映るだろう』彼女の漏らした笑みは。今まで見たどの笑顔とも違う、見たことの無い表情で。胸を、痛くする。
今。彼女は。苦しみを少しずつ吐き出している。その痛みに耐えるように、自然と剣を握る手に力がこもる。『そんな俺でも、君は使役してくれるかい?』――来る。直感がそう告げる。『吹き荒れろ、白刃の嵐!』「集え氷の子ら!」声を発した瞬間には、もう頬と脇腹を鎌鼬が掠っていた。血も多少飛んだだろう。十分な魔力を編み上げる間も無く、薄い氷の壁を作り上げる。ガッ、ガッ、ガガッ、―――パァン鎌鼬が氷の壁を削る音。それは、あっという間にガラスが破られるような音に変わった。壁が、破られた。
キラキラと。氷の破片が飛び散る中。鎌を振り上げ、距離を一気にゼロにする風の化身が見える。でも。動かず、風に乱れ狂う前髪の間からシーファを見据えたまま、立ち尽くす。風に乗った氷の破片が掠め、刺さり、鎌鼬は身を斬る。痛みに表情は歪む。でも、絶対に動かない。受け止めてみせる。キミが、受け止めてくれたように。我が友よ。ブォン、と鎌が音を立てて首元でぴたりと止まる。時間が止まる。風が止み始めるのを待って、静かに口を開いた。「ボクは、貴女の魂に惹かれてやまないから」そして、微笑む。
「だから、姿がどれだけ変わろうと、貴女がその気高く美しい魂を持ち続ける限り、シーファはシーファだ。何も変わらない。そう…」左手で、彼女の頬に手を添える。「大切な、ボクの友達だ。だから、ボクはちゃんとシーファのことを知りたい。受け入れさせて欲しい。光も闇も」くしゃ、と笑う。そして剣を収め、右拳を自分の心臓の位置にトンとつけ、表情を引き締め。はっきりと、彼女に告げる。「マーシェ=ノクタニア=ソワレスクは。シーファ、貴女と共に歩むことを誓う」そして、照れたように笑う。「契約してくれる?ボクと」
どうやらグレイと名乗った男は不在にした直後に教会を訪れてくれたようだ。「呪い…ですか」その時に対面出来ていたらこの独特の気―――グレイ流に言うならば「呪い」を見極める事が出来たかもしれないが。恐らく、「今」が双方にとって「最良のタイミング」なのかもしれないと思う。ただ、「呪い」と言うのも少し違う気がして天使はグレイの方へ歩み寄った。「失礼致します」他意のない事を示すように笑みを浮かべ、グレイの手を取って掛けられたと言う「呪い」の気を探る。邪気のようなものは感じられない。感じるのは「悪戯を仕掛けよう」とでもしているかのような気配。
だが、そんな傾向とは裏腹な「束縛」或いは「呪縛」のようなものが感じ取れた。(この「気配」……私も「知って」いる…?)何処で知ったのか、何故知っているのかは判らない。ただ、この「呪い」をかけた「悪い女」とやらの嗜好傾向は感じる気配から読み取れた。「余興」或いは「暇潰し」。僅かを望む者でも多くを欲する者でも相応の対価としてそれらを求める。やはり、この呪いの主を自身も知っている。きっと目の前の男と同じ程度には。曖昧な「記憶」は触れて確かめた事で確信に変わり、男に限らず自身さえも随分と質の悪い「女性」に魅入られてしまっているようだ、と天使は小さくため息をついた。「グレイさん」
長い呪縛から解放する事が何を齎すか。それが男の「望み」に沿うものかどうか。何を齎したとしても何れ自身も男と同じように解放を望むのだろうか。そんな事を考えながら取っていた手を離して。この「気配」が随分と長い間男を縛り付けているようなのが判った上で。「この”呪い”は…何時受けられましたか?」自問とも言えなくない質問を。
跳ね飛ぶ斬り口から、黒いものが勢いよく辺りに飛び散った腕の力を緩めて起き上がり、女を解放する何のことはない、単なる気紛れか或いは、興味が尽きたのだ首のない身体が、すっぽりと火に包まれて青白く光っていた黒いものを流しながら、ふらふらと剣の主に近づいていく…首が、大きな声でわらっている女を捕らえれば男が庇う男を捕らえれば、女が庇うのだろうますます狂ったようにわらう首のない身体は、男の前に立ち尽くしている…大きなわらい声を残してすう、と消えて行く何のことはない、単なる気紛れか或いは、興味が別に移ったというだけ
天使の心の内を反映したかのように温もりを持った手に包まれる。魔術や法術と言った物に疎い自分には彼が何をしているのかは分からなかったが、恐らくは魔女に施された物を探っているのだろう。暫しの静寂を破ったのは空気とは思えぬ質量を持ったため息。その様子から性質の悪い女に騙された事を悟る。「グレイさん」 温度差から温もりを奪われた手が離れ、瞳に光を宿した視線が真っ直ぐと向けられた。「この”呪い”は…何時受けられましたか?」何か心当たりでもあるのか俺の回答を待つというよりは答え合わせをしたいようにも見える。「話すと長くなるんだけどね」己の事を話す事は無かった。話す必要も無い。
黙ったまま墓場まで持って行くつもりだった話を誰かに打ち明ける事になるとは。形は無くとも神の使いが光を与えると言うのであれば此処は教会なのだろう。教会であれば懺悔を行っても良いか。「20年近く昔の話になるんだけどね」戦場から足を洗って婚約者と小さな村に移り住んだ。二人の子を授かり、妻を亡くした後は男手一つで彼女の忘れ形見を守ってきた。だが、因果は巡ってくる物。生きる為に他者を殺めてきた人間が幸せになれるはずも無い。小規模な賊ではあったが戦う術を知らぬ素人が間に合わせの武器を振り回した所で叶う筈も無く村は地図から消える事になる。戦場から身を引き、錆付いた剣術で応戦はしたのだが…
土足で自宅に踏み込んだ無法者と対峙している最中に魔術で崩された瓦礫が降り注いだ。咄嗟に子を庇うように被さったのだが、資材の雨に撃たれる最中に意識を失った。その時だ。魔女が囁いたのは。『助けてあげよっか』悪鬼の類である事は本能的に察知したのだが、誘いに乗ってしまった。『その代わり、私の玩具になって貰うわ』『それでも構わない!俺は彼女の子を守らなければならないんだ!』こんな所で死ねるか。まだ終る訳には行かない。死後も女の所有物となる事を条件に息を吹き返した。女との契約は果たされた。一語の偽りも無く…「俺だけ」が助かってしまった。自分の物ではない血溜りの中で、独りだけ。
護るべき者を失って生きる意味などあるのか。背を撃つ様な女の仕打ちに勿論食って掛かった。『家族を助けて欲しいだなんてお願いはされていないわ』分かっていた癖に鼻で笑った。『助けてあげても良いけど貴方の子も玩具にさせて貰うわよ?』悪魔のような女、いや悪魔そのものだ。悪魔に我が子の魂を捧げる親が何処に居る。交渉は決裂。それから女の姿は見ていない。「ありがちな話だろう?」余りにも馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。「悪い事ばかりじゃなかったけどね」奇しくもそのお陰で大切な友人や仲間を得る事が出来たのも覆しようの無い事実。「だから借金は支払うつもりさ」俺の望みは―――
男の口から語られた言葉は、まるで自身を写す鏡のようで。記憶の奥底に自ら封印していた苦い「過去」が蘇る。彼の女性が口にしたであろう言葉の一つ一つ、立ち振る舞いや表情の一つ一つが目に浮かぶようだ。「えぇ、確かに悪い事ばかりでは…ありませんでしたね」紡ぎ出された言葉は苦笑に彩られ。男の言葉に答える、と言うより自身を嗤う響き。本当にありがちで、今にして思えば「出来の悪い昔話」のようだとさえ思う。天使自身、彼の女性に「会って」以降の数年間で得た物も多かったが、失った物はそれ以上に大きい。それがいつしか「罪悪感」を孕み、押し潰されそうになった時、師と巡り合った。
師に出会えた事で今の自身を育てる基を得て。少しづつ、変わっていく事が出来たのも彼の女性と出会えたが故。「だから借金は支払うつもりさ」思いを全てその言葉に注ぎ込んだように、男の視線は真っ直ぐに天使へと向けられた。何時か、目前の男と同じように「借財」を精算したいと願う時が自身にも来るだろう。だが今はただ、浅はかだった自身を嘲笑う事で彼の女性「弄ばれる」事を自ら受け入れる。まだ、天使には成さねばならぬ事があるのだから。「私に出来る事ならば……如何様にも御手伝い致しましょう」同じ経験をしたであろう男と、最後の「答え合わせ」をする為に。天使は静かに頭を垂れた。
「えぇ、確かに悪い事ばかりでは…ありませんでしたね」天使の口から放たれた言葉は意外な物だった。あの女は自分の眼鏡に適う人間は片っ端から手にしているのだろうか。恐らくは、新しい玩具を手にした後は古い玩具は乱雑に片付けられ、再び思い出すその日まで何処かに仕舞われるのだろう。子供特有の無邪気さと残酷さを何処か匂わせる女だった。「私に出来る事ならば……如何様にも御手伝い致しましょう」「そう、畏まれても困るなぁ…お願いしたいのはこっちなんだからさ」少しバツが悪そうに頬をかく。いつも野宿か安宿を利用する男にとって、人並みのお客様扱いと言うのは少々恥ずかしい物があった。
地図の裏側にインクを滑らせ文字を刻み込み血縁者の連絡先を記した紙を差し出した。「兄弟が心配すると思うからね、後で伝えておいて貰っても良いかい?」死んだと思っていた兄弟と再会出来たのも性質の悪い女に掛けられた呪詛のお陰。理不尽ではあったがあのまま命を落としていては絶対に得られない物だった。家族の埋葬も、戦場で命を落とし遺体すら見つからなかった妻の形見を見つけ出し、弔ってやる事も命があればこそ出来た事。戦場を渡り歩いてきた目的も昇華できた。世界の終焉を前にして何も心残りが無いと言うのは理想的な終り方なのだろう。納得の行かない取引だった。だが今となっては結果的には良かったと言える。
「俺の望みはあるべき道を進む事かな。悪い女の誘惑に乗って寄り道をしてしまったからね」今度は道に迷わないように真っ直ぐと…魔女に「生かされてきた」時間のわりに特に変化が無い事に違和感を感じていたのだが、昇華し切ってしまった後に矢張り道を間違えていた事に気付いた。どちらの時間が正しいのか疑問に感じた事も有る。それでも普通の人間と何ら変わらぬ時間を経過していたのだから、それまでの考えが正しい物だと思っていた。「神父様、少し後ろを見てもらって良いかな」心優しい天使の神父は自己犠牲を払ってでも穢れる事を選ぶだろう。勿論そんな事は頼めない。己の弱さが招いた事は自らで決着を付けたかった。
使い込んだ地図の裏側に書き込まれた物。それが男の得た物の一つである事はその表情から見て取れた。差し出された地図を手にし、名を刻み込むように一文字一文字を丁寧に追う。書き込まれた場所へ訪れる時、自身は男の兄弟に何をどう伝えるべきなのだろうか。男や自身の「体験」した事など、機会に恵まれなかった者にとっては只の与太話に過ぎない。仮に信じてもらえたとして、「仇討ち」等考えられても彼の女性の思うツボだろう。男の兄弟に伝えるべきものは、もっと簡素で判りやすい「事実」でなければ。知らぬ方が良い「真実」は知らぬままが良いのだと天使は思う。
「俺の望みはあるべき道を進む事かな。悪い女の誘惑に乗って寄り道をしてしまったからね」男にとっての「あるべき道」。それは恐らく、彼の女性と出会った時に落としていた筈の「もの」を手に行く筈だった「場所」へ向かう事。妻や子、そして生かされた結果得た「友」の待つ……「神父様、少し後ろを見てもらって良いかな」穏やかな笑みを称える表情とは異なる意志を垣間見せる男の目の中に写り込んだ天使がにこりと微笑み。静まっていた聖書が再び仄青い光彩を放つと同時に開かれた。「方状結界…籠」命ずるような詠唱の後、的を定めるように天使が指を指す。男の腰に収められたままの銃に向けて。
「璃斗…隙を見て…退け…」ヴェガの声が聞こえるが、残念ながら反応出来そうにない。次いで聞こえた剣を振るう音に、事態を把握しようと目を開けたまさにその瞬間、大量の温かい液体が顔にぶちまけられた。幸い手で顔を覆っていたが…ということもなく、目と言わず口と言わず―一応鼻くらいは守れたが―押し寄せてきたその液体が何であるかは、視覚よりもむしろ嗅覚や味覚が教えてくれた。視覚は、その液体の出所―今も目と鼻の先で彼女に黒い血をどろどろと垂らし続けている切断面を捉えるので忙しかった。
そもそも捕食者側の身であるし、衛生兵の真似事で怪我人もそれなりに見てきたが、その絵面は少々キツかった。お陰で、せっかく解放された頃には彼女は気絶していた。既にいろいろと限界だった。生首がわらい首なしの身体が燃え、消えてゆく後ろで、鴉天狗はぐったりと横たわっていた。ほとんど全身が血塗れ、砕けた岩の散らばる中で暴れて擦り傷だらけ、自慢の翼もぼろぼろという、愛する者の前に晒すのにはあまり向かない姿で。尤も、血のほとんどは彼女以外から流れたものなのだが。
「ぎゃっ」何やら黒い塊が足元に飛んできて、思わず跳び上がって避けてしまった。酷い笑い声が耳に響く。「いわよみ…さん…?」ふと、知人の声に似ている気がして、呟くように名を口にする。大きな体躯のひとの体と、切り離されてしまったこの黒とでは余りに違いすぎて想像は追いつかない。生首は爆発はしないようで、そろりそろりと遠回りに通り過ぎ、翼人らへと声をかける「大丈夫ですか。羽根の方は生きていらっしゃいます? 翼騎兵の兵であれば手当を、獣の兵であれば殴ります」斧を構えながら、そういえば自分の見た目の方が天翔ける翼騎兵らしくはないと思いながら、自分のするべき事を確認、反芻する。
表情を読まれぬ為になるべく自然に笑ったつもりだったのだが、思った以上に察しの良い相手だった。漠然と妨害される事は真っ先に理解した。聖書の輝きに気を取られたほんの僅かな時間。完全に出遅れたと理解しつつも伸びた手が足掻く。術が最後まで展開するのが先か、愛銃が最期の仕事を成し遂げるのが先か。急所を的確に狙う時間も無い。出来るのは精々…引き金を引く事だけ。元よりこうするつもりだった。世界の最期と共に。直線状に獲物が居ればそれで充分。結果が訪れるのが早いか遅いか、それだけだ。側頭骨に狙いを定め引き金を引けば手元の凶器が乾いた音と火薬の匂いを吐き出した。
何かに弾かれるような音と共に20年連れ添った愛銃が持ち主の手元を拒む様に弾け飛んだ。触れられる事を拒絶するように何かに包まれ、金属独特の重音を奏でながら地に叩きつけられた衝撃に転がる。「自己新記録だったんだけどねぇ…」こんな事なら早撃ちを極めておくべきだった。なるべく穏やかな声で自身を鎮める。まだ感情を灯した瞳を隠すように帽子を深く被り、結界に阻まれた愛銃を視線で追った。愛銃と獲物を仕留めそこなった弾丸が一つ。「俺の負けだ。降参するよ。最初から最期まで君の世話になろう」一番押し付けたくない仕事を取り上げられてはお手上げだ。自身が言える事ではないが災いを呼び込むタイプだ。
火種にしかならない粗悪品の呪文を込めた魔法弾を煙草に翳し煙を吸い込む。豪勢に纏めて吸って見たい所だが不運な事に最後の一本だった。「上の兄は聖職者だから事情は察してると思う。下の兄は考えるのは苦手だけど勘は良いからね。幸せだったって伝えて置いてくれ」俺と違って聡明な兄だ。愚かな真似はしまい。兄はその一言で全てを理解してくれるだろう。「一番下に書いたのは俺の家族が居る所さ。連れて行ってくれるかい?」友人と一緒に海を渡って行ければどんなに幸せだろう。だが、もう家族を捨てて逃げ出すのは御免だ。「さあ、いつでも構わないよ」煙草の火を揉み消して、神の代行者の慈悲を受け入れる。
白刃の嵐は、氷の壁に阻まれる。精霊が彼女の元に辿り着く寸前に、それは破られた。舞う氷の粒の中、荒れ狂う鎌鼬の中。彼女は進みもせず退きもせず、その場に立っていた。――信じているのだ。自分が、その刃で彼女を傷つけない、という事を。うん。十分だ。命を刈る為の鎌を、刃を、瞬きもせずに見届ける。怯えも無く。ただ、自分を信じて。それがどれだけの覚悟か、命のやり取りをする者ならば、わからないなんて事は無いだろう。ぴたりと止まった刃。彼女の首には一筋の傷も付いていない。ほどけて行く風の中、彼女は微笑んだ。
『ボクは、貴女の魂に惹かれてやまないから』『だから、姿がどれだけ変わろうと、貴女がその気高く美しい魂を持ち続ける限り、シーファはシーファだ。何も変わらない。そう…』添えられた手から、暖かさが伝わってくる。『大切な、ボクの友達だ。だから、ボクはちゃんとシーファのことを知りたい。受け入れさせて欲しい。光も闇も』受け入れてくれた。自分の激しさも嫌な部分も、彼女は受け入れてくれる、という。精霊は鎌を引き、潤みかけた目をぬぐった。「ありがとう、マーシェ」精霊も微笑む。そして。
『マーシェ=ノクタニア=ソワレスクは。シーファ、貴女と共に歩むことを誓う』胸に拳を当てた、彼女の誓い。『契約してくれる?ボクと』もう、躊躇う事など何も無い。「喜んで」精霊は膝をつき、そっと彼女の手をとる。「我が真名、シルファリアの名において誓う。 マーシェ=ノクタニア=ソワレスク、汝を主とし、 楯となり刃となり、汝を護る事を。 そして、汝の翼となって、共に進む事を」その手の甲に、口付けを落とした。同時に、柔らかい風が吹き、彼女の傷を浚うように癒しの力を与えた。顔を上げて、こちらも照れたように笑う。「これからも宜しくな、マーシェ。我が主よ」
それから、精霊はマーシェの手を引いて、彼女を抱えようと手を回した。「さ、行こうか。何処でも好きな場所へ、飛んでいけるよ」これからも、色々な事が二人を待ち受けているだろう。でも、一人じゃないから、きっと上手くいくはず。喧嘩もするかもしれないけれど、楽しいことは二倍に、悲しみや苦しみは半分に出来るように。精霊は微笑みながら翼を広げる。「あ。でもその前に、お世話になった人達に挨拶してからにしようか?」そんなことを話しながら。
大陸の東の地で響いた銃声。放たれる筈だった小さな弾丸は張られた結界に弾き飛ばされて地に転がり、「的」を射抜く事はなかった。男の早撃ちの腕が良ければ、恐らくは負けていた「賭け」。天使が「勝ち」を収めたのは運が此方に向いていただけの事だろう。「自己新記録だったんだけどねぇ…」小さな結界に包まれ足元に転がる銃に視線を落として紡ぎ出された言葉は、行き場を失った感情を諌めるかのような落ち着いた声に彩られていた。自身が聖職者でなければ望みを叶えさせてやる事も出来たが、「自害」だけはどうしても容認出来ない。それが天使の手を血で穢さない為の男なりの優しさであればこそ、させてはならぬと思う。
お手上げだとでも言うようなため息混じりの言葉に乗せて、「賽」は天使に委ねられ。男は最後の一本らしい煙草を取り出して火を点けると、目深に帽子を被ったままの顔を天使の方に向けた。兄弟達への「伝言」と「帰郷」。それを天使に託し、男は短くなった煙草の火を揉み消す。「さあ、いつでも構わないよ」まるで遊びを促すような軽い調子とその内に秘められた覚悟と「生き過ぎた」事への悔恨。どれも忘れてはならないと天使は思う。「……何時か私も其方に参ります。貴方の"御希望"に沿えなかった謝罪はその折に…」そう、「何時か」必ず。男の行こうとしている「場所」に天使も行く事になるだろう。
男と同じように「誰か」の手で。だから、その時を待っていて欲しいと天使は言葉の中に願いを込めた。左手の上で開かれた聖書の放つ光彩が強まり、男の表情を白くぼやけさせた頃。掲げた右手の掌に「力」が集まる。天使が「唯一」使える、命を奪う事の可能な殺傷術。「私は…結界術と治癒術しか習得出来ませんでした。治癒術はアンデッドには効果的ですから、それだけで充分だと思っていました。この大陸に、辿り着くまで……」闘う事が怖かった。傷つける事が怖かった。才能自体元々なかったが、師を得てからもずっと「恐怖」から逃げる為に相手を近づけない術だけを好んで覚えてきた。
だが、それだけでは何も守れないと思い知らされて。結界を「武器」に変える術を模索し続けた。「竿状結界…槍頭」詠唱する声が震える。人に…それ以前に「生物」に向けて放つ事を前提に発動させるのはこれが最初だった。精度を上げる為に刺し貫いてきたものより、脆く柔らかい肉体に「これ」を撃ち込む覚悟は出来ているのに、いざとなると自身の弱さが顔を覗かせる。躊躇いが腕を止めてしまう前に。
天使の告白は言葉以上に重みを持ち、言霊のように両肩に圧し掛かっているようにも見えた。きっと無意識なのだろう。職業柄、まずは言葉から繋げて行くタイプ。その言葉は其れを生業としない者以上に力を持つ。だから、自分で始末を付けようと思ったのに…と、言葉に出来ず苦笑を滲ませる事しか出来ない。だったら俺は、君に被せてしまった罪を少しでも軽くして上げる事しか出来ないね。「有難う、神父様」穢れを知らぬ手から放たれる切っ先に突かれた刹那、衝撃に導かれるままに宙を泳ぐ帽子の間から視線が交わったような気がした。君は何も臆する事は無い。俺はとっくの昔に死んだ人間なんだから。
願わくは次に逢うのは遠い未来の話であって欲しい。この出会いも魔女の遊びかもしれないね。玩具同士を遊ばせるような感覚で…それでも俺は一人で命を絶つよりも送って貰えた事を幸せに思う。俺は悪い義父だったが息子は元気にしているだろうか。鬼面の彼はきっと新天地で相変わらず不器用に、でも信頼されて生きていくんだろうね。最後の最後で緋色の闇天使に縁有る子に逢えたのは嬉しかったな。魔剣の彼女の話が真実なら先に向こうで………いや、意外と今も元気に甘味を楽しんでいるかもしれない。あの時、魔剣の彼女と二人で対峙した精霊さんは元気にしているだろうか。あの時は年甲斐も無く八つ当たりして悪い事をしたな…
死の淵に立たされては何度も生かされて来た。全うな死人なら治癒魔法で送って貰えたかもしれないと言うのに、中途半端に生者と死者の間に置かれた為に痛みを伴わせる手段を取らせて申し訳なく思う。まだ重量を持つ肉塊が重力に叩きつけられ、紅よりも黒に近い物が地に吸われる。吸いきれなかった分が徐々に領地を広げていった。肌身から離れた結界越しの愛銃に手を添えた所で無理矢理動かされて来た時計の針は刻を刻む事を辞める。20年もの時間の流れは器の急激な劣化を促し、残されたものを包み込んでいた布が風に誘われるままにはためいていた。
振り切られた右手の中から放たれた色を持たぬ切っ先が目前の男を貫き、反動で目深に被られた帽子が空を舞う。貫いたその瞬間交差した視線に写り込む互いの姿。結界に閉じ込めたままの銃に手を添えたところで、満足そうに…幸せそうに男は事切れた。長い年月を無理に刻まされてきたその肉体は、その年月を吐き出すように見る間に劣化していく。天使の前には使い込まれた衣服とマントに包まれた肉を纏わぬ骸が残された。男が生者と死者の狭間にある事は判っていた。狭間を行き交う者であるが故に対アンデッドも兼ねて覚え込んだ治癒術では対処しかねる事も。術者は万能ではない事を、天使はまた思い知らされたのだ。
彼の女性の演出したであろう「遊戯」によって。「……満足、されているのでしょうね、貴女は…」泣き出しそうな笑みを浮かべて、天使は空を仰ぎ目を閉じる。瞼の裏に焼き付いた新たな「罪」を忘れぬように。息を吸い込み、吐き出し。目の前の現実に目を向ける。果たさなければならない約束の為に。天使はゆっくりと小さくなってしまった男の骸に近づくと、その身からマントを取り外して広げた。残された骨の一つ一つを広げたマントの上に集め、遺品となる衣服を丁寧に畳み。その時になって漸く、男が結界に封じた銃以外にもう2丁の銃を所持している事を知った。
一つはどうやら魔力封じの物らしい。「人の良い方ですね…貴方も…」これを用いれば天使の放つ術など簡単に封じる事も可能だっただろうに、敢えて使わなかったのは男の人の良さなのか。自害を容認出来ない天使の「我侭」を何故聞いてくれる気になったのか、もはや訊ねる事も敵わぬが、聞いてみたい。そんな気がした。物言わぬ骸に3丁全ての銃も添えてマントで包み込み、天使はその腕にそっと抱き抱えた。「御送り致しますね。貴方の御家族の元へ」囁きかけるようにそう告げて、天使は翼を広げて飛び立つ。最後に書き込まれた、男の兄弟が暮らすと言う地へ向けて。
呆気無い。今まで振るった剣の数の中で、随一。打ち込みの感触はあった。だが、人でも物でもない液体の中を抜けるような感触。返り血は黒。人のそれと同じく噴出し辺りを染める。跳んだ首は笑う。耳に付く、大きな音、不気味な声で。分かれた胴体がゆっくりと起き上がり。やや退いた己に向ってくる。彼女が解放されればそれで良い。興味が少しでも私に向くのならば、あぁ…死んでは…いないだろう…化物…。頭に過ぎる言葉に何の違和感も持たず。剣を握り直す。「…あの目…何処かで…。」表情も変えずに呟く。
化物の首が発した、一段と大きな笑い声が風に乗る。近付いてきた体も、黒い血も、周りの土も、砂も、草も、飛ぶように跡形も無く消えていく。浮かんだ目の事も全て。「戯れにしては…味気がなかったが…」与えるだけの神ならば必要ない。試す神ならば、望むところだった。命長らえても無意味だと思っていたが、今は、生きる時間が大切なことを、こんなにも愛おしいことを分からせてくれたのだろう。化物が、人でも神でも、それ以外でも、もう…永遠に…戦わなくて済むならば…。消えた先に、彼女は死んだように横たわっていた。「璃斗…帰ろう…」ゆっくりと血塗れの彼女を抱き上げる。
数歩。「大丈夫ですか。羽根の方は生きていらっしゃいます? 翼騎兵の兵であれば手当を、獣の兵であれば殴ります」不意に掛けられた言葉。「あぁ…どうだろうな…生きている可能性はあるが…。すまないな…どちらの陣営でもないが…たしか……ユプラ殿だったか?」私も良く喋るようになったものだと少し動揺しながら。大きなタオルに包まれたこと。教会での出来事を思い出す。このヒトは、きっと味方だろう。安堵。「手当て…頼めるか?…私の大切な人なのだ…」抱いたままの璃斗の顔に、私は遠く忘れていた、微笑を向けていたかもしれない。
この大陸に立ち寄った時は、こいつらいつまで戦うつもりなのかと思っていた。実際は思う必要もなく、みんな神の掌の上で踊らされてただけなのだけども。先程まで生きてたヤツは、敵?国の紋章をつけていた。戦場の片隅で命を散らしかけていて。ただ延々と「死にたくない、家族の元に帰りたい」と掠れた声で言っていた。馬鹿だなぁ、死にたくないならこんな場所に出てこなけりゃよかったのに。口には出さないがそう思った。もしかしたら顔に出ていたかもしれない。いろいろと気の毒なヤツだったので、そのまま殺した。そいつは、うぅっ…と低い声を出して死んでしまった。で、勿体無いから一口齧った。
…あーぁ、結局全部食べてしまった。新鮮だったからつい…まぁ誰も怒らないよな。ぼんやりと空を見ながら次のことを考える。なんて高い青空。こんな燃える大地が馬鹿らしいほどの。ここに、この戦場に居続けるのは愚か者だ。この空の色、とてもキレイだし、死ぬにはもったいないだろ?くるるっと咽喉を鳴らし、目を細めた。もうこの場所はいいや。そろそろ行こうか。次に辿り着くのはどんな場所だろ?おいしい者がたくさん居るといいな。どんな所でも食べ物があるならそこはとても良い所だろう。さぁ行くか。羽根がばさりと音を出し、そして、人食い竜が大陸から飛び立っていった。
切り傷、矢傷が熱い。息が切れる。全神経を集中し、360度に警戒する。響く雄叫びと断末魔の競演。勝利の為、仲間の為、名誉の為、金の為、快楽の為、国の為。誰もが必死に戦っている。必死に生きている。例え結果がどうなろうと何一つ手を抜くワケにはいかない。それが私が戦ってきた証、生きてきた証。託された者への敬意、奪った者へのけじめ。そう、私がソラン=シレジアである以上、ソラン=シレジアである為に。貫く、そして、駆け抜けるのみ。
こちらを向いて答えた顔を見て、あら、と声が漏れた。まさか戦場で、知った顔に出くわすとは思いもしなかった。いつだったか、古い教会に集まった人々の賑わい、ずぶ濡れで静かにお茶をすすっていた姿が思い出される。一瞬、敵であれば…と身構えたが、どちらでもないとの返事に構えた武器が行き場を無くして彷徨う。ええと、そういう場合はどうしたら良いのかしら…「あ、はい、ユプラです。ええと、ベ…ヴェガさんだったかしら。そちらも…ううん、よくよくうっかり、戦争国の間に入り込んで変なものを踏んづけてしまったようですねぇ…」
少女を抱きかかえた男の目は、以前見た時よりも随分と優しく。ああ、こんな二人に斬りかかるのは、…そう、野暮だ。腹を決めて、体のあちこちに巻いたり留めたりと沢山持ち歩いている布を幾枚も広げて少女の上へと乗せる。「とりあえず血を拭いて、傷は血止めに押さえておいて。あちらの岩陰、仲間の所に薬などあったと思うので先に行って用意しておきます。あまり動かさないように、ゆっくり素早く来て下さい」そうして走りだす。戦うためでなく、誰かのために。やはりその方が身体も軽い。何かに気づけた気がして、知らず、強ばっていた顔が緩んでフフ、と笑った。
「ここが、戦場か…」物心ついた時から争うことが嫌いだった。こんな自分がなぜ争いを繰り返しているこの世界にやってきたのかは、偶然のいたずらとしかいいようがない。生前は近付くことすら嫌悪していた場所だが、幸いというかなんというか、今の自分は宙を浮くことができる。せっかくだからとこの世界でずっと続けられてきたことを、最後にこの目に焼き付けておきたい。そう思って、忌み嫌っていた『戦場』へとやってきたのだった。飛び散る血、響き渡る悲鳴。やはり、争いは醜い。なぜ人はこうも争いを続けるのか…。
目を逸らしたい衝動を抑えながらも眺めていると、醜い中にもいろいろなものが見えてきた。己の生を、信念を、誇りをかけて戦っている人。争いの中で芽生える友情。「俺は自分の臆病故に、戦争から…いや、全ての争いから逃げていたのかもしれんな」もちろん、教団の教えに平和を愛するというものがあった。しかしそれを言い訳にしていたように思う。戦争まではいかなくとも、もう少し人と正面からぶつかっていれば何か変わったかもしれない。…尤も、それも生前に気付けなければ意味がなかったのだが。
この世界の崩壊まで、もう1時間もない。それと同時に自分は冥界へと帰ることとなる。そろそろ、準備をしなければならないな。ルール違反を犯して冥界から降りてきた自分を見逃してくれた彼女は、俺を冥界まで送ってくれるだろうか。「…いや、彼女も忙しいだろう。帰り道くらいは覚えている、はずだ」小さく呟いたその声は、誰にも気付かれることなく風に消えた。そしてその身体も、誰にも気付かれることなく宙に消え去った。
一人の男が立っていた。今まで砂風から身を守っていた分厚い布を取り去れば、透けるような銀の髪が靡いた。先程まで使っていたであろう抜き身の曲刀を一振りし、鞘に収める。戦友より譲り受けた妖刀。…戦友。するりと自分からその言葉が出た事に、男は少しだけ驚いたようだった。『宜しいのですか』「何がだ」彼の後ろに付き従っていた魔術師の一人が声をかける。『ルルララ様に、ご挨拶されないのですか?』肩についた砂を払い、胸元のクラヴァトを結び直して顔を上げる。眼前には一面の砂と、8月の青い空が広がっている。「構わん」ただの一言だけ告げると、男は砂地に足を踏み出した。
*最後にあの国に帰ることが叶わなかった時点で、我が戦いは終わってしまっていたのだろう。陛下の御為。まるで児戯だが、我は楽しんでいたのだ。最後だと告げられ、慣れ親しんだ国を想った時に幾つかの顔が浮かんだ事に自分でも驚いた。非常に癪であるが、我は女王陛下ではなくそこにいる過去達に別れを告げたかったに違いない。戦いと、そして、日常に。再び目を閉じれば、数多の命が終わり、そして旅立つ気配がする。『宜しいのですか』もう一度だけ問う。それは我が戦わなかった事か、別の何かに対してかは分からない。或いは、どちらも。遠くから魔力の走る光が弾け、剣のぶつかる音がした。*
「行くぞ」その一言で、従者は全て霧のように消えた。元は全て彼の魔力の一部。これから行く道の先、未だ止まぬ戦いの中を行くには多少力が必要だろう。そして砂風の中、彼は一人になった。世界が終わる。瞬く間に広がった嘘のような真実。しかしこの世界は、これからも不毛で輝かしい戦いを続けるに違いない。誰の記憶にも記録にも残らぬ場所で、永久に。今も喧騒は、止まない。「…武運を」聞く者のない言葉が風に消えた。男は立っていた。そして流麗な動作で振り返り、世界に向け腰を折った。「それではまた何処かで。 御機嫌よう、諸卿。 良い悪夢を、いつまでも」